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自分のために料理を作る: 自炊からはじまる「ケア」の話【読んだ】

移動中のラジオでタイトルを聞いて、読まねば!と思った本。

家族がご飯時にいれば、毎晩、主菜・副菜or汁物くらいはささっと作って暮らしています。
炊飯器をセットして、炊きあがるまでにおかずもできて、30分ちょっとあればごはんができるので、手が遅いわけでもない。

しかし、ひとりの、つまり「自分のためだけの料理」になると、基本的には作れない。
なにか買ってきたり、作りたくないからジャンクフードを食べる。
もちろん、自分の食べたいものが明確なときは、ノリノリで作る。しかしそれは半年に一度もあればいいほう。

なにがいけないんだろう。
でもすぐそこにコンビニもあるし、出前も来るし。まあいいか。
そうやって暮らしていたところに、この本と出逢いました。

表紙裏からもう「ああ…私のことだ…」という言葉。

「誰かのためにだったら料理を作れるけど、
 自分のためとなると面倒で、適当になってしまう」。

自分のために料理を作る: 自炊からはじまる「ケア」の話

なにかをわかりたい。
そう思って読み進めました。

いままでの所謂「料理が苦手」本は、
「苦手でもいいよ、でもやらなきゃ仕方ないからね。」なんて言いながら、
丁寧にドレッシング作るレシピが載っていたりして、がっくりしたものです。

これほど食事は複雑になったのは戦後からで基本はご飯、お味噌汁、漬物であったことや、
“1日30品目”は1985年に提唱された指針であり、2000年には“主食・主菜・副菜を基本にバランスのよい食事を”に変わっている、という話には目からウロコ。

そして「日常生活は“ウマの合う料理”だけでいこう」という言葉。
すとんと腑に落ちました。そうか、それでいいのか、と。
なにか目新しくないといけない、なにか特別じゃないといけないと、どこかで気負っていたのかもしれません。

一番印象に残り、深く同意ができたのは、
コンビニおにぎりは許せても、レトルトごはんは許せないという方とのやりとり。
表現できなかったもやもやが、きれいに言語化されていました。

そうなんです。
とりあえずよそったごはん、卵焼き、お味噌汁でも十二分なはずなのに。
コンビニのお弁当・お惣菜のほうが、心の中での点数が高いんです。
商品として売られているという安心感が、評価されている。

そこに、「冷蔵庫のあれを食べちゃわないと」をトッピングすると、
自己肯定感ゼロの食卓が出来上がってしまう…。
それを目の前で「おいしいね」と一緒に食べてくれるひともいないまま、作業的に食べ終わる。そりゃ虚しいわけですね。

自分が変われるかもしれない、と感じた気付きポイントは
・私は自炊のメニューの評点がシビア
・安心感は、自分の力だけでは不足している
・食べているものをもっと肯定する、の3点。

そして、ふとやってみたかった浅漬けを、浅漬けグラスを買って、作ったんです。私は、今まで漬物というものを、自作して食べることに非常に抵抗がありました。
自分が関わっていなければ、よそのお母さんが漬けたものでも食べるんです。自分が関わると、だめ。それはなぜなのか。

安心感の不足かもしれない。そう感じたので、あえて形から入りました。
ビニール袋と適当な重しでいつでも作れるけど、それだとだめなのです。
ガラスのきれいな浅漬けグラスを使って、時間が経つごとにみるみると小さく浸かっていくのを見て、「おいしそう」と思いました。

そしてそれを一緒に見守っていた家族が、食卓に出た浅漬けを見て、「お!できたんだね!」と口に運び、「おいしい!」と言ってくれた。
私はもう、ビニール袋でも漬物を漬けられるでしょう。


このケアの話は、様々な年齢・世帯の6名の参加者の話があるので、
「自分のためにする料理はなぜか気分が乗らない」と思ったことのある人は、ぜひ読んでみてほしいな、と思いました。

料理がしたくない。って非常にいいにくいんですよね。
特に男性もキッチンに立つようになった今、「別に料理なんかやったらできるじゃん」と返された瞬間、すべてが否定されてしまうから。
本当に無関心なら「ふーん?それで今日の晩ごはんなに?」って言われるんでしょうけど、それはもう違うケアが必要。

ほかにも、頑張って試行錯誤していたところを、
手を抜けないかチャレンジしてみることにしました。
冷凍弁当とか、バランスの良いパンとか。
安心して「今日はこれでいい」と頼れる市販の食べ物を、増やしていこうと思っています。

この本を、世に出していただき、ありがとうございます。
この声を、拾い上げてくださり、本当にありがとうございます。
気付いたひとたちが、少しでも楽になりますように。

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