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SARS-CoV-2までのほぼ『サピエンス全史』

『サピエンス全史(上)(下)文明の構造と人類の幸福』
作者:ユヴァル・ノア・ハラリ

今回の新型コロナウイルスの感染拡大は世界史に残るイベントになりそうなので、厳密ににはもう”全”史ではないけれど、
250万年の現生人類からなぜ我々ホモサピエンスが一人勝ちできたのかを、この『サピエンス全史』長めの一息で俯瞰する体験をさせてくれる本。

上巻は特に、何万年単位が凝縮されているので、べらぼうに面白い。長くかかる遺伝子の変化させる進化だけが、生き残り戦略ではなくなったところが始まりだったんだな。

つまり、サッカーができる遺伝子を手に入れなくても、生まれてからサッカーを教えることで、サッカーができる人類を量産することができるってこと。

ホモサピエンスにとっては僥倖が、他の生物にとっては破滅の始まり。
ホモサピエンスが、他生物を絶滅させまくりで、ちょっとひく。
ホモサピエンス同士でも、宗教革命あたりから殺しまくりで、かなりひく。
滅ぼされる人じゃなくてよかったと思う。そんなことだらけ。
今の世界の誰もが、長ーく続いているお金という宗教の信者なのだなと気づく。

でもそうそうそうよね。歴史でも習ったものね。

250万年前の話から始まっているので、400年前とかぜんぜん最近な気がする。
つい、こないだまで発見した土地で略奪とかしまくり。

そして、変化のスピードはさらに加速しているよね。
ほんと、ホモサピエンスはこの先、どこに行くんだろう?

”人間”の尊厳ってなんだっけ?と思う。

小さい単位だったら、お猿さんの群れだって、象の群れだって、家族単位で子育てして助け合ったりする、私たちが見ている尊厳なんてものも、そういうやつなのではと思う。

地球だってこの世界だって、ホモサピエンスのためにあるわけでもないのに、忘れちゃうね。

忘れちゃうこと、気づかないことを、気づかせてくれる。

人間は経験学習の生き物だと理解しているけれど、短い人生経験で経験して学習できることなんて、本当に僅かで限られていて、狭い狭い世界の常識に過ぎない。
狭い常識が永遠に続くことはありえないし、変化している。

全くの平和ボケの甘ちゃんだという自覚は思っているけれど、その自分なりに、世界は過信できない。ホモサピエンスは過信できないなと気づく。

それにしても、読書というのは、平凡なホモサピエンスの私にこのような気づきを与えてくれる、なんとチートな能力なのだろうと思う。
この今はまだ恵まれた世界で、ホモサピエンスのずるさを満喫しよう。


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