仕事に行き詰まったときに読む『幼女戦記』

人間の欲求には、三種類あって「合理的でありたい」「勝ちたい(負けたくない)」「好かれたい(嫌われたくない)」。どれか一つということではなくて、強弱があるらしい。

それで言うと、私の場合は「合理的でありたい」>「勝ちたい(負けたくない)」>「好かれたい(嫌われたくない)」

つまり、不合理に負けるくらいなら嫌われたっていい。と思っている。
もちろん、できれば合理的に勝利して好かれて幸せな毎日を送りたい。

なわけなのだけど、会社員としていつもその願望が叶うわけではなく、不合理に負けも勝ちもせずそこそこ嫌われないようやっている。ああ、やだやだ。やってられない。そんな気分のときには『幼女戦記』のターニャの報われない合理性にひどく共感してしまうし、救われもする。

『幼女戦記』の主人公のターニャは幼女で魔法使いの軍人なのだけど(これだけでもよくわからないだろうけど)、元の姿は、日本のサラリーマンで無神論者。早いうちからこの世のルールに悟って努力を重ねるが天才には適わないと気づき、大人になり、サラリーマンとしての役割を全うしようと真面目に社員を役割としてリストラしたら、逆恨みされて線路に突き落とされてあっさり死んでしまう。なんてこった。

そこで神と名乗るものが現れ、、、お前が合理的な科学が支配する平和な社会で男性だから神を信じないというならば、非合理の力が支配する戦争世界に幼女として転生させてやろう(そしたら神を信じるだろう)というのだ。ひどい。

その世界は近代的戦争下にありながら、戦力の背景に魔力がセットとなり、ターニャは幼い頃に前世の記憶と魔力に目覚め、自分を転生させた神を恨みながらも、この世界の合理的な勝ち筋として、軍人になる。ターニャの望みは、そこそこ出世して、後方で平和に優雅に暮らしたいというのに、敵を殺すことに合理的でありすぎるのと、その時代の武力に影響する魔力が絶大なのと、前世の記憶から近代戦の戦略に長けていることから、どんどん出世する。

とっとと勝利して悠々自適の生活を送りたいのに、勝てば勝つほど、大変な前線に送り込まれるターニャに自分を重ね合わせる。仕事として武勲をあげているだけなのに、戦争なんて飽き飽きなのに、戦争大好き、ウォーモンガー扱いされるターニャが気の毒だけど可笑しい。ターニャの、非人道的だが戦争法に反しない戦略的に最も合理的な作戦がはまり大勝利すると(つまり適国は死者の山)、だってこれがルールなんでしょう?と冷たくすっきりする。

私は漫画で読んだのだけど、原作本もアニメも良いらしい。漫画は戦略のイラストが分かりやすくそれも知的好奇心を刺激される。上層部とのやり取りのずれっぷりもおかしい。ターニャのサラリーマンとしての合理性のおかしさも、組み合わせの妙でクセになる。

仕事に行き詰ったときに『幼女戦記』を読むと、合理性だけでは上手くいかないんだよなぁ、となんだか納得して、でもまた作戦を考える気になるからすごくいい。魔力も前世の記憶もないけど殺されないし、楽しくやろうって思える。




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