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「ボヴァリー夫人」と「ジェーン・エア」とブロンテ姉妹とフローベール、ミア・ワシコウスカ

イントロ

を随分前に読んで、驚いたんです。ストーリが面白すぎて。
水村美苗さんは伝説的なストーリーテーラーだと思っていました。

しかし、元ネタがあったのです。
時は流れ、何年経ったのでしょう、

を読みました。映画も見ました。

文学YouTuber ムー さんもみました。
YouTube:【 文学YouTuber ムー の 文学マップ 027】 エミリー・ブロンテ 「 嵐が丘 」

ごめんないさい。あまり響きませんでした。

ある日、「クリムゾン・ピーク」(2015)を見てました。

この映画はミア・ワシコウスカ(Mia Wasikowska)さんが魅力的に白で表現されており、とても印象に残り、出演作品を調べてみました。
ティム・バートン「アリス・イン・ワンダーランド」のアリス役と言った方がお分かりかもしれません。

ジェーン・エア」(2011)があるではないですか。さっそく見ましたよ。
そして、その勢いで、

を読みました。
いい !!

これはミア・ワシコウスカさんの魅力のためなのか !?

ボヴァリー夫人」(2015)も引き続き、みる、そして、読む。
※ Amazon.JPの予告とパッケージはイカンと思うのです。このパッケージは米版です。予告はIMDbを見てください。

これまた、いい!!

参考文献

Brontë姉妹、エミリーとシャーロットの作品を読むなんて、考えたことがなかったのです。「ボヴァリー夫人」なんて、新潮文庫の前版(生島遼一訳)を学生の時に読んで挫折して(というよりも当時は面白さがわからなかった)、一生読まないものだと思っていました。

ところで、ブロンテ姉妹についての本って少ないんです。
英文学科出身ではないわたしにとって、ブロンテ姉妹はおろか、作品が書かれた背景、19世紀イギリス ヨークシャーを想像できません。

図説 「ジェイン・エア」と「嵐が丘」―ブロンテ姉妹の世界,河出書房新社,1996

が写真付きで一番参考になりました。ブロンテ姉妹の世界がぐっと近くなったところで、

を評論として読みましたけど、それほどわたしがほしい内容がない。ほしい内容ないときって、えてして、ほしい内容を本人がわかっていないのですが。

しかし、同じことを考える先人は必ずいるものです。
いたのです、ジョン・サザーランド(John Sutherland)先生です。

ブロンテ姉妹で知りたいことを書いてくれるジョン・サザーランド先生ですので、フローベールについてもほしい内容で「若い読者のための文学史」に書いてくれていました。

翻訳について

岩波文庫のブロンテ姉妹、エミリー&シャーロット作品の翻訳をされている河島弘美さんは、英文学者さんです。おそらく、サマセット・モームの翻訳で知られる行方昭夫先生のお弟子さんにあたるのではないでしょうか。行方昭夫先生と河島弘美先生とご経歴が重なるのです。行方昭夫先生といえば、文学作品の翻訳に留まらず、『英文快読術』をはじめとして、英語読解の指南書をたくさん書かれています。わたしは、行方昭夫先生の翻訳がなければ、サマセット・モーム作品を読むことはなかったでしょう。推測なのですが、河島弘美先生はブロンテ姉妹作品を翻訳する際に、行方昭夫先生のレビューを受けているのではないでしょうか。そうして、行方昭夫先生から太鼓判を押された翻訳をもって、出版されたのではないでしょうか。実際、エミリー&シャーロット作品の翻訳は、素晴らしく日本語の作品でした。すなわち、行方昭夫先生から河島弘美先生へと受け継がれた、英文学の翻訳を味わうことができたのです。不思議な縁でたどり着いたブロンテ姉妹ですが、これは僥倖だったのかもしれません。到着したところは、考えてもみなかったブロンテ姉妹読破なのですから。
とすると、「嵐が丘」はもう一度読み直さないといけないかもしれないですね。「嵐が丘」のよさが分からないのは、わたしの感性の問題かもしれないですね。

※ 河島弘美先生も立派な先生ですので失礼な言い方になっているかもしれません、申し訳ありません。

一方、フローベール「ボヴァリー夫人」の翻訳された方は芳川泰久先生です。物議を醸したプルースト「失われた時を求めて」の抄訳を作家 角田光代さんと共著で出された方です。わたしはこの「失われた時を求めて」はアリだと思います。プルーストの翻訳としてこれほど自然な日本語を望めません。

芳川泰久先生はこの経験をもってのいよいよ「ボヴァリー夫人」を手掛けます。「自由間接話法の工夫をされており」等々なんですが、わたし、これついて理解できません。フランス語を勉強をしていますが、自由間接話法を使われるほどのレベル達していません。

こちらもちらっと読みましたが、やはりあまり理解できず。。。
単に、新潮社さんからいくつか出ている「謎解き」シリーズで出してくれると嬉しいです。芳川泰久先生はこちらも書かれていますし。

どうであれ、新潮文庫の前版(生島遼一訳)をつまずいてよかったです。まさにツァイガルニク効果です。以前はシャルルが再婚するところまでさえも読み進められなかったのですから。

締め

「嵐が丘」があまり響かなかった原因は

  1. 「本格小説」が日本人には浸透しやすい「嵐が丘」であった

  2. 現代性を考慮するとヒースクリフの愛は理解し難い

  3. ミア・ワシコウスカ補正がなかった

だと捉えています。ヒースクリフの思慕はわかります。思慕がつのり狂気となす、これもわかります。ただ、「本格小説」での東太郎のように理知的に外堀を平和裏に固められなかったのかと、現代のわたしは考えてしまいます。「嵐が丘」を先に読めば違った感情を抱いたのかもしれません。

ところで、ジョン・サザーランド先生から得たことがすっかり抜けています。しかし、それを書くとこの記事が長くなりすぎます。そのうち記事を書きます。


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