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ずるい大人になりたい。 〜高円寺「本の長屋」共有書店スタートに寄せて

「桶屋書店」として活動を初めて約10ヶ月。
この度、東京・高円寺のコクテイル書房が企画する「本の長屋」にて、棚を借りることになりました。
今のところ3ヶ月間ではありますが、初の常設の棚です。

これまで古本市などに出店し、人や場所に合わせた選書を行ってきました。
ただ、そろそろ自店のカラーみたいなものが表現できたらないいなぁと思っていた頃に、クラウドファンディングで「本の長屋」という試みを見つけました。

本の長屋は、1階の共有書店と2階のイベントスペースからなる場所。
1階には区画ごとに本棚を分けて、さまざまなバックグラウンドを持つ「箱店主」が本を並べます。私もこの箱店主のひとりです。

現在、ようやく1階の工事が終わったばかりで、2階は2023年初夏に完成予定。
ギャラリーエリアや読書会などのイベント・交流スペースになるとのことです。
5月のプレオープン期間を経て、6月には正式にオープンします。

私が行った際にはまだまだ工事中でしたが、現在の姿は記事の通り。棚ができています!

棚のテーマ

さて、今回の出店に際して、田舎者の私は考えました。
大都会東京は、あらゆる形態の本と本屋が集まる場所です。
そこで「自分が」棚を作るならどうするか?

選んだテーマは「青少年と大人が、同じ目線で読みたい本」でした。
棚には私が選書した本と、塩尻中学校でのこれまでの2年間の授業で読んだものが含まれます。もちろん、中には生徒が選んだものもあります。
不定期本屋の桶屋のスピンオフとして、棚の名前は「Same Page by 桶屋書店」と名付けました。

このロゴでPOP作りました!

中学校での読書会では、「青少年が自分じゃあえて手に取らないけど、読んだら興味深い内容であること」を条件に選書しています。
ただ、これが意外と難しい。

例えば、スマホやIT機器の扱いについての本を調べたとします。
IT機器と接する上で、ルールづくりとか生活習慣のあたりに話が及ぶと、切り口が大人目線の表現に出会うことがあります。大人にとって説明しやすく管理しやすいような「大人の都合」で作られたルールは、子どもたちと一緒に読んでも、あまり面白くない。彼らは何が大人の都合かなんて、とっくにわかっているはずですから。

だから、大人や子どもの境目なく、誰もが自分ごととしてその課題を捉えられるような視点の本である方が、ずっと面白い議論ができます。
このため、内容が興味深いのは前提として、大人と子どもが同じ目線で読むことができ、青少年も自分ごととして捉えやすい切り口の本を常に探しています。

また授業で生徒たち自身が選んだ本に、講師である大人が惹かれることもたくさんありました。

こうした本たちをまとめたのが、今回の棚です。
まだまだたくさん並べたい本はありますが、今後、新刊も仕入れられるようになる予定なので、少しずつ充実させていこうと思います。

看板猫さんにごあいさつ。毛並みの一部がピンクでふわふわ。

子どもと大人の境目

中学校でABDをしていると、中学生たちが子どもであると同時に、一人の人間であることを実感します。
それは彼らが読みたい本を選ぶときに、「年齢に沿った本」ではなく「自分が興味がある本」を選ぶことからも顕著になります。

私の視点で考えても、中学生の私と今の私は地続きにいる同じ人間です。いろんな部分が成長こそすれど、根っこは変わっていない。もはや中学生ではないけど、永遠に「私」のままであることは同じ。
とすると、子どもと大人の境目は社会的なもので、自分の中に境目はないと感じます。

ただ、子どもの時って、大人との境目がもっとあると思っていました。
もっというと大人って、年齢によって全自動でなるものだと思っていました。

小学生になったら友達100人できる。中学生になったら部活で「後輩」になり、次に「先輩」になる。20才になったら大人。そうやって大人になったら、もう●才だから結婚せねばとか、こういう遊びは卒業したほうがいいとかのバイアスが働きながら、残りの人生を過ごす。そんな風に大人をイメージしていました。

でも、年齢がいくら上がっても、自分は変わらない。
好きなものは、永遠に好きなまま。
そんなに簡単に卒業できるものじゃなかったんです。
自分が「こうしたい」と思ったら、いつかやるまでその亡霊に付き纏われるものなんだろうな、と思うのです。

ならば、できるだけ早く、その「好きなもの」とか「こうしたい」に気づいて、そのまま大人になったほうが、楽しいに違いない。
今は本当にそう思います。

今回の棚の選書に当たってはそうした本ばかりではないけれど、
「こうしたい」を貫くそのエネルギーが少しでもこもっていればいいな、と思いながら選んでいます。

大人の特権

ちょっと話は変わりますが、最近、乙女ゲームを始めました。
数年前に発売された『ときめきメモリアル Girl’s Side 4th Heart』という恋愛シミュレーションゲームです。

結婚してなお、自分が乙女ゲームをやるとは思いもしませんでした。
でも実際は、動画サイトでゲーム実況を見てたらやりたくなり、ちゃっかりネットで二次創作まで漁るハマりっぷり。
むしろ「私絶対にオタク気質なのになんで今までやってなかったんだろう?」と不思議なくらい、とっても楽しいです。

そして興味深いことに、プレイヤーの中には大人もたくさんいるようです。
特に二次創作の作者さんたちは、10〜20年前に発売された前シリーズからプレイしている古参もたくさん。
しかも(ちょっとオタクっぽく語りますが)そうした先輩たちの作品、特に小説は、キャラの心情や設定の解像度が高く、世界観の作り込みがすごいんです。

小説を構成するためには、キャラクターの設定が必須。二次創作の場合、こうした設定は、ゲームをやり込むことである程度拾い集めることが可能です。
ただゲームの中で描かれないことが多いほど、辻褄を合わせるために、独自の「解釈」を加える必要があります。「ときメモGS4」は、この余白が多いゲーム。
キャラクターの生い立ち、家族の中での立ち位置、バイトへの姿勢、朝が強いか弱いか・・・こうした設定に納得感があり、キャラクターの人間としての姿形がリアルに浮かび上がるほど、より複雑で味わい深く、感動する作品になるように思います。

読後に心があったかくなるような小説の作者さんが、過去作からゲームをやり込んでいる先輩だと、本当にすごいなぁ、と思うのです。
それらを読むほど、大人っていいなぁ、と思います。

自分自身が高校生だったあの時よりも、バイトも仕事もしたし、たくさんの人と関わったおかげで経験値がUPしている。
初恋はもう2度と経験できないけど、愛することを知っていたりする。
おかげで小説を書くにも、細かいところまで想像できるし、キャラクターにもっと共感できる。
すると、作品がもっと遠くに行ける。
だから、書く作品が読者に刺さる。

子どもの時に想像する「大人の特権」って、ゲームを何時間やっていても怒られないとか、自分でお金を自由にできる、というところかもしれません。
もちろん大人は、いつどれだけゲームをするのも自由です。
でもそれだけじゃなく、大人は、自分の人生と好きなものを深く関係させていくことができる。
仕事しながら二次創作をしている人なら、日常の経験が作品に反映されるだろうし、ゲームが好きすぎてやり込める人なら、ゲームを作る側にだって回れる。
大人になるほど、好きなものの「楽しみ方」に選択肢と幅が増えるのです。

何をするにも、そのための時間と労力と経験値と財力を自分で組み合わせていける。それが大人になるにつれ、大きくなる特権の一つではないでしょうか。

それって、まだ色々積み上がっていない子どもからしたらずるいくらい、羨ましいことかもしれません。

子どもたちに「いいでしょー」ってニヤニヤしながら自慢できる、
それこそ、ずるいって言われる大人になりたいなぁと思います。

それなら、好きと思ったものは思った時にいつでも始めたほうがいいよね、という結論で、今日も飽きるまでゲームをするのです。
もちろん、主婦としてご飯も作りますけれど。


さて、書店は現在プレオープン期間ですが、5月中にはイベントもいくつか実施されています。直近の告知ですみません!
今後もSNSなどで告知されますので、twitterをチェックしてみてください!

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