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読み切ることを目標にしない。「段階的」本の読み方

昔からたびたび、「本を読みながら思いついたことを手帳に書きなぐる」という時期があります。
例えば就活時とか、コロナ真っ只中の2020年。何かモヤモヤが溜まると、読んだり書いたりして発散させたくなるんです。

本を読むと頭が冴えるので、その状態で書いたメモは、割と本質的なことだったり、自分の本音が混じっていたりします。
途中から、本を読むどころじゃなくなって、書くほうが冴えてきたりして。

そんな私が数年前、ふと思い立って、自分で本(ZINE)を作りました。『好きなものハンドブック』というタイトルで、本というよりも、ノートというほうが正しいかもしれません。

読書ノートともちょっと違いますが、本を読む過程で生まれたアイデアでしたので、コンテンツの一つに「本を読むレベルの話」というコラムを掲載しました。大学時代、一言一句を全て読まない読書スタイルに出会って衝撃を受けたことや、そこから「本が傍にある生活」をするようになった今までの、私の本の読み方を書きました。

本の発行から時間が経ちましたので、そのコラム部分をnoteでも公開しようと思います。
(ついでに、元になった本もちょっとだけ値段を下げることにしました。興味のある方は、記事の末尾にあるリンクからどうぞ)

※公開にあたり、内容の一部修正、加筆を行いました。


大学で出会った、本との付き合い方

本は人が書いたもの。先人の知恵をそのまま享受できる本は、私が迷った時に考え方を整理するためによく使うツールです。
本屋として、イチ本好きとして、今でこそ日常的に本を読む私ですが、昔から本が大好き!というタイプではありませんでした。
そんな私の本との付き合いを変えた出来事があります。

大学生の頃、卒論を書くにあたって、指導教員のT先生から課題を出されました。それは、卒論のテーマに関連のある文献リストを作ることでした。そのときT先生が教えてくれた「新しい本との付き合い方」は、 卒論の提出から10年以上経った今でも、私の考え方の根っこになっています。
付き合い方の一つは、本に対する考え方を変えること。もう一つは、段階的な本の読み方です。

本に対する考え方を変える

T先生もまた、自身が大学院生だった頃は本を読むのが嫌いだったそうです。文献は、読むのに時間も気力もかかりますし、しかも物理的に重いのです。

そんなある日T先生は、重いかばんを抱えて中華料理屋さんに入り、注文をした後、かばんに入れていた本を何気なくパラパラとめくってみました。

すると、あんなに腰が重かった読書にもかかわらず、料理が出てくるわずかな間に、なんとなく内容が把握できてしまいました。しかも、小さな達成感まで得られたのです。

T先生が言うには、本は「読んだ」と「読んでない」の二者択一ではありません。人と付き合うのと同じように、本との付き合いにも、浅い・深いがあります。本に限らず情報が溢れる時代、どれを読むかより、どれを読まないかが重要になります。
また本との出会いには、タイミングも関わります。簡単な本はつまらなく、難しい本は意味がわからない。その中で、面白くて自然に読んでしまう本が、今の自分にあった本だと、先生は教えてくれました。

たとえ難しいと思った本でも、一度目を通しておけば、後で思い出すことができます。浅い付き合いを通して、自分の中の検索機能を育てることが大切なのです。

外で読むのも、大学時代からの癖かも。

「段階的」本の読み方

本には、浅いから深いまで段階的な付き合いがあります。私が学んだ当時は、卒論を書くための読み方として教えてもらいましたが、それから年月を経て、論文以外の日常生活でも、本を探す際にこの「段階的」読み方がベースになると感じています。

ここでは、私が日常生活で実践している「段階的」本の読み方をご紹介します。

レベル1:タイトルを知っている

まだ手に入れていないが、本屋で気になったり、読みたい本リストに入れたりして、頭の片隅にある感じ。これも読み方の一つ。

レベル2:積読(つんどく)

手元に積んである状態。モノとしてそこにあるので、物理的存在としての圧力を感じる。

レベル3:風通し

全ページを1枚ずつパラパラめくって、キーワードを拾っていく読み方。パラ見。これだけで、大体何について書いた本なのかわかる。1回5分くらい。

※ビジネス書は、目次で大体の内容がわかるように章立てされているものも多いです。ただし、目次の見出しがその章の要約でない場合や(海外の翻訳本などに多い)、目次から想像できる内容と実際の内容が異なる場合もあるため、やっぱり「風通し」をオススメします。

レベル4:ナナメ読み

ページごと、段落ごとにナナメに目を走らせる。無意識に読み始めていたら、それは今読むべき本。気になる章だけ読んでも。

レベル5:読む

普通に読む。

レベル6:読み返す

一度読んだだけでは飽き足らず、何度も読む。気になるところに印をつけたり、書評で本にツッコミを入れたり。
また、読書会などで誰かと読めば、より深い付き合いになりそう。

今、私と本との距離感は、これくらいのパターンがあります。好きなものといっても、いつでも最優先というわけにもいかないもの。つかず離れず、その時に適切な距離感で付き合っていくのが良さそうです。

本が傍にあると、何が変わるのか?

1.誰かに繋がる

冒頭の話に戻ります。
私は、本を読みながら、本の内容とは関係ないことを、手帳に書き殴っていました。それは大概、その本を読んだことをきっかけにズルズル出てきたものです。自分の現状や就活へのモヤモヤだったり、やることがないコロナ禍への不満だったりに対して、本から刺激を得て、考えたことを書く。

要は私、モヤモヤしているときに、本を相談相手にしていたのだと思います。
本を通して、複数の専門家から、広く浅く情報収集する。すると、副産物として悩まなくなるのです。
その後も、悩んだら調べることで一旦冷静になります。人間、冷静になりさえすれば、対処できることは意外と多いものです。

本が相談相手であるということは、本を通して誰かとつながれるということでもあります。
これは、ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』に似たコンセプトがあります。

この本は結構読み応えがあるのですが、ざっくり要約すると、
「本を読んだフリしてコミュニケーションすることについて、文学の大学教授である著者は怒るかと思いきや、むしろ意義があると言ってます」という感じ。

訳者である大浦康介によるあとがきを引用します。

書物は、物理的書物とそれを読むものとのあいだにある。あるいは、本書により即した言いかたをすれば、書物は、それを話題にする者たちのあいだにある。書物は、「出会い」の産物なのである。・・・このことは、書物が、読者ひとりひとりの内面の憧憬や不安を宿す個人的存在であると同時に、すぐれて社会的存在でもあることを意味している。・・・〈読む〉から〈語る〉へと移行するにつれてこの社会的性格は強まるともいえるだろう。

『読んでいない本について堂々と語る方法』p.229

何かに悩んだとき、私は本を「作者↔︎私」で共感するためのツールにしていました。でも本の可能性はそれだけじゃない。さらに私がこうやってnoteを書いたり、話したりすることで、本の内容は「私↔︎誰か」のものにもなります。
読書が一人だけのものじゃなくなって、本がコミュニケーションツールになる。

モヤモヤしているとき、煮詰まっているときに本を傍に置くのは、現状を変える何かとの出会いのために他なりません。

2.ただし、最後は自分が決める

一方で、本を読むだけでは解決しない問題もあります。
それは本が、自分にとって大切なものを判断してくれるわけじゃないということ。
つまり、本の知識で武装することで、自分が変わるわけじゃないのです。
判断力、直感力とでもいうのでしょうか。何をするか、どうするかは、最後は自分で決めなきゃいけない、という問題はつきまといます。

「悩む」という行為は、判断を先延ばしにすることでもあります。本を読むことは、先延ばしの理由、つまり「今やろうと思って調べているところ〜」という自分への言い訳になりかねません。
本を読んで知識を得られれば、自ずと判断材料は手に入ります。しかし、手に入るのはあくまで材料。判断は自分でしなければなりません。

「本を読んでもモヤモヤする」「むしろ疲れる」そんな時は、本は頼りにならない時なのだと思います。
本は心の栄養にはなりますが、身体の栄養には食事や睡眠が必要です。
判断する、決めるという行為は体力や精神力を消耗しますから、元気な時にこそできるものです。本を読んでも元気にならないなら、休んだ方がいい。

そして修行は続く

かくいう私も、判断力を磨く修行中。
例えば、とてもお腹が空いているのに、先に今日のタスクを済ませてしまいたくて、お昼ご飯を食べ損ねる、とかはよくあります。自分がどうしたいかに至るよりも先に、ついどう「すべき」かを考えてしまう。(ちなみにこのときの「すべき」は大概、そんなに重要なじゃないことが多いです)

お腹が空いている時や眠い時に本を読んでも、頭に入りません。
それは一見、判断しているように見えて、本当に必要なことを先延ばしにしているだけ、と薄々感じているのです。

だからこそ私に必要だったのが「好きなもの」をたくさん書いておくというコンセプトでした。
「好き」という感情は、直感でしかないからです。直感が磨かれれば、自分にとって大事なものを逃さずにいられるのじゃないかなぁ、と思います。
それが最終的に、自作本の『好きなものハンドブック』というタイトルに落とし込まれたのだと思います。作者ながらまだまだ修行中の身ではありますが、今になってようやくタイトルが腑に落ちる今日この頃です。

いつか「直感にもう不安はない!」と胸を張れるようになったら、その記事もnoteに書いてみたいです。

作った本はこちらです。

本をどうやって作ったかの記事はこちらです。(2022年の記事です)


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