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通天閣は六五歳

写真は大阪天王寺から見る通天閣である。

以前の商売柄、こんなことが気になるのだが通天閣の竣工は1956年(昭和31年)、今年65歳なのである。

人間で言えば高齢者の仲間入りである。

私より4歳年上と知るとなんとなく親近感が湧いてきた。

いつもならば週二回この風景を見ながら合気道の稽古に行くのだが、このコロナ禍でしばらく休みにしている。

稽古と言っても口だけで教えているのでたいして体は動かさないのだが、全く動かさないのは体に悪い。

特に還暦を意識しだした頃から体調の変化を感じている。


体調ばかりでなく自分の歳を感じてしまう事がいろいろある。

我が家を代表してスーパーに時々行く。(と言っても家内と二人だけである。)

そして、買った品物をマイバッグに収めるさい、店に置いてあるロールになったペラペラのビニール袋を使う。

一枚破り取るまではいいのだが、そこからがいけない。

袋の口が開けれないのだ、指がカサつき舐めるわけにもいかず、ましてやまだ続くコロナ騒ぎの渦中、置いてくれている濡れタオルも触りたくない。

いつもマイバッグへ指示された獲得品を収納するのにずいぶん時間がかかっている。

同じように指の魔力が切れつつあるのを感じさせるのが回転寿司のタッチパネル。

年寄りは入場禁止なのかと思ってしまう。

風呂上がりに頭髪が乾きやすくなったとか、いいのか悪いのかわからない事もあるが、年齢を感じる事はいろいろある。


しかし、昨晩感じたのはストレートだった。

大学合気道部の先輩、長く病床に伏せられている俳号『ねずみ男』先輩が投句を続ける夏井いつきの俳句投稿サイト『一句一遊』でのことであった。

事情があって現在私が代理で投句している。

ルールで一度に三句までしか投句出来ない。

その度に本名、俳号、住所などを入れる。

コピペなので大した手間ではないのだが、最後に年齢もポチッとしなければならない。

先輩と私は同じ歳なのである。

いつもは気にもしなかったのだが、昨晩は投句数が多くて5回ほど『六十代』をポチポチした。


強く『六十代』を感じた。

これが昨晩感じた私の六十代でした。

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