人の情けとIT
もう20年以上も前のことである。
ゼネコンの営業マンだった私は大手の電器メーカーを担当させられていた。
当時いたゼネコンはいい意味でも悪い意味でも放任主義の会社だった。
民間営業は難しい、定石は無いから自分で考えて仕事を取って来いといった感じだったかも知れない。
その頃仕事のストレスが原因で腸の潰瘍になりかかり、体重がいきなり10キロも減った事があった。それくらい毎日が辛かった。
そんななか、会社にその大手電器メーカーの管財部長から電話があった。
受けたのは私の上司、いい話でも聞けると思ったのだろう。
しかし内容は違った。他支店の仲介で売る予定だったもと工場の土地に瑕疵が見つかり、中止とする前に購入希望した会社から大クレームが来ている、なんとかしてくれ、といった内容だった。
売り先を紹介・仲介したのは他支店と言えど同じ会社、担当窓口としての大阪支店に電話が入るのは当然だった。
相手は一流ブランドの最優良得意先、誠心誠意然るべき対応をして解決するのが当然なのに、上司は皆逃げてしまった。
他支店がやった事で関係ないといった感じであった。
当時係長だった担当の私はそんなわけにはいかないので、考えた末、毎日とりあえず通うことにした。
管財部長は会ってくれなかった。
役員が行っても会ってくれなかった。
請負会社としては息を止められかけているのも同然、ほかっておいては先方の顧客名簿から消え去るのも当然の成り行きであった。
たとえ会えても頭を下げるだけ、当時の私には部長相手に話をするすべもなかったが、夜も寝ずに考えた末、会ってはもらえぬ部長宛てに名刺を受け付けにおくことにした。
そしてその前に必ずその会社の創業者の記念館でそこにある説明全ての文言を記憶していった。
いつか部長に会える日が来るかもしれないと備えて。
盛夏の時期、毎日京阪電車に乗って通った。
そして、二ヶ月後部長は出てきた。『俺ももとは営業マンだ…、』それからコーヒーをいただきながらいろんな話を聞けた。
応接に通してもらいコーヒーを出してもらうのがその会社でゼネコン営業マンの一番のステータスと上司から聞いていた。
記念館に通ううちに尊敬するようになっていた創業者には直接仕事を教えてもらった部長であった。
まだ『情や情け』がウエイトを占める営業が通る時代でもあった。
私の古くさい営業でそれまでのことは氷解して仕事まで発注してもらった。
そんな電器メーカーが近年業績低迷した。
リストラも新聞で目にし、もと経営者がインタビューで『ITで時流に乗れなかった』、と言っていたのを記憶している。
経営の難しさを感じる。
それが大きければなおさら。
世の中の動きと社内の雰囲気を肌で感じることが大切なのだろう。
そしてITを読み解くこと、すべては繋がっていること。
ITと無関係で済ますことの出来る社会はなくなりつつあることを深く認識しなければならない思う。
AIがどこまで人間に近づくのか私には分からないが踏み入れてはならない線は引けるよう設計をしてもらいものである。
子どもの頃読んだ手塚治虫の『火の鳥』の未来編の最後あたりで人間の男をハグしたまま止まってしまったアンドロイドの話があったように記憶する。
そしてその人間の男とアンドロイドの女は恋愛関係にあったのではなかっただろうか。
作ったアンドロイドに殺されてしまうのだ。
まったく曖昧な記憶ではあるが、自分たちが生み出したAIに首を絞められる未来などが待っていて欲しくはない。
古いすべてが悪いわけではないと思う。
新しいものは必要である。
適度に双方が残る、ようなそんなことを考えることの出来るAIであってもらいたいものである。
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