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酒とともに今年も暮れていく

仕事が終わり飲む酒はなぜか優しく感じられた。
泣きたい時に酒を飲み、苦しい時に酒を飲み、そんな時の酒はなぜか苦く感じられた。
その時々の感性を酒にぶつけてきたけれど、酒に逃げたことは一度も無かった。

酒の魔性を知っている。酒は人を狂わせることのできる水である。そう思いカウンターの中に立ち、酒を客に売って来た。「惰性で飲む酒はうちにはございません」そう言ってみたかった。でも客は私の心が読めたのかも知れない。酒に優しく酒に真面目な客が多かった。

店が客を大事にするように、客は「この店」と決めたならば店主以上に店を大事にしたい。そうなれば好循環が生まれる。店主は美味い肴を仕込み、美味い酒を探す。場末の小さな店であったが、そこは私の城であった。サラリーマンに疲れ果て、家族の介護・看病で人生を投げ出したくなり、行き着いた私の城であった。

一等地じゃない、場末の店が私には合っていた。出せる料理は私の手作り、どこかで修業したわけじゃない普通の男の手料理であった。でも、足を運びいい材料を探し手間をかけ美味しい肴を用意することを目指した。高くて美味いは当たり前、安くて美味いが大阪人である。多くの大阪の酒飲みが集まり、全国から私の友が足を運んでくれた。

私の人生の集大成のようなもの、そこで生涯を終わればいいと思っていたが、再び家族の病気で店をたたんだのである。
ゼネコン、設計事務所の営業マン、飲み屋の親父を経て介護を始めた。ゼネコン時代に職の世話をした男が大きな社福で偉くなっていた。「夜勤専従」、聞けば意味は分かるが初めて知る言葉、ショートステイで朝まで若者たちの相手をしてくれないかと言う。身体、知的、精神障害者は日本の人口の7%いる。手帳を持たないグレーを含めたらその数はもっと増えるのであろう。本人たちとその家族の数だけ苦しみがそこいらじゅうに点在する。たった一度のショートステイで安らぐ時間を家族は持てるのである。夜寝る子も眠れぬ夜を過ごす子も、メシを食えない、排泄もままならない子もいた。そんな若者たちを相手に朝まで考えた。なぜ彼らの存在があるのかと。考え続けたその答えは「考えるため」である。

考えることに意義がある。それがたとえ自身の子であろうと、親であろうと、兄弟姉妹であろうと自身の肉親であるから考えることの出来る何かがある。結果はどうでもいい。考えることである。同じ人間としてこの世に生まれながら、今の世の中で生き辛さを抱えながら生きていく子らが人たちがいることを考えることである。

そして本当の意味で知って欲しい。その存在を知って欲しい。心で知れば優しい人間になれるはずである。優しい気持ちを持って普通に接してやって欲しい。同じ社会に生きる同じ人間なのである。少しだけ出来る私たちが少し出来ない彼ら彼女たちを当たり前に支えてやったらいいのである。
一人でやったら大変だ。でも、みんなでやれば負担は減るし、苦悩も減る。
そうすればみんなが生きやすい社会になる。


介護の4年間は私のそれまで続いた毎日の飲酒を断絶しました。思えばそれまで酒には失礼なことをしてきたかも知れません。酒飲みは自己弁護が得意です。向かぬ営業に浸っていたら、今頃私は病院で横になっていたかも知れません。
だから、ここまでの時間に感謝しかありません。物を書き始めたのはこの4年間の夜の時間です。六十を過ぎ、残された人生を合気道への恩返しと、自身の可能性の確認と、兄貴の最後までを見守っていこうと思っています。
もちろん、良い酒との時間は続くことと思います。

この一年間も皆様には大変お世話になり、感謝ばかりです。
本当にありがとうございました。
そして、来年もよろしくお願いいたします。

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