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昭和の釣りの思い出

私の育った愛知県東三河はその先はアメリカ大陸へ続く太平洋、内海の三河湾に面し、そして背後には南信州を控える自然豊かな温暖な地域である。

子どもの頃仲間で連れ立ってよく釣りに行った。

釣れても釣れなくてもよかったのである。釣りが目的ではなく、そこにいることが目的だったのである。

夏井いつきが選者をつとめる松山市公式俳句投稿サイト『俳句ポスト365』で一昨年前に出された冬の季題が『鮃』であった。

季語という不思議な記憶再生装置に呼び起こされた私の記憶を投稿した。

ここ大阪ではリーズナブルな鮃に出会う機会が少なく、この時期イワシをよく煮付ける。

立春はとうに過ぎたが、寒の残る時期の魚たちは脂がのってどれも美味い。


◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪

『鮃』がこの時期の季語なのは脂が乗り切る食の旬だからであろうが私にとってのヒラメ記憶は味覚では無く、触覚なのである。 

これも少年時代の思い出である。 豊橋の伊古部の浜で一年を通して遊んだ。

 島崎藤村の詩『椰子の実』の舞台恋路ヶ浜に続く美しい砂浜である。

 一年を通して釣りをした。 寒い冬にもリール竿を手に太平洋の白波に向かった。 釣れても釣れなくても良かった。 ある時は友と語らい、ある時は一人海と語らった。 

全てを忘れさせる包容力と強さを太平洋は持っていた。 嫌なことがあるといつも海に向かっていた。 

そして夏には遊泳禁止のこの浜で泳いだ。 沖に向かい砂浜は続くが、いきなり深くなる。 波も強く、だから遊泳禁止なのである。

 砂地の海を歩くのは磯場の海を歩く事と比べると然程怖くはない。 しかし、安心して歩いていた私は足を砂地の海底に置いた瞬間背筋が凍るような気持ちがした。 

生まれて初めての感触が足に裏にあったのだ。 

そしてそれがぬるりと土踏まずを横に抜けていった。 一瞬驚いたが次の瞬間にはそれがヒラメであろうと悟れた。 

ヒラメの子どもだったのである。 

彼らの安住の地に文字通り足を踏み入れた際の出来事であった。 後にも先にも一度きりの体験であったがいまだに足の裏が覚えている。 

寒い冬にキス釣りに行くと置き竿していた先に食いついたキスにデカいヒラメが食いついた。 

地球を釣り上げたかと思うほどの重さであった。 その時にはこれを踏んだらひっくり返るだろうなぁと釣り上げたヒラメを眺めた。 

胸を張って帰宅した。 母がヒラメのようなまん丸の目をして驚いたのは言うまでもない。 少年の頃の冬の想い出である。/宮島ひでき

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