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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#夏井いつき

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

そして『昭和の匂い』

まだ私が子供の頃の話、白菜の美味しいこの寒い時期に昭和五年生まれの職業婦人であった母は時々水餃子を作ってくれた。 刻んだ甘い白菜と豚のひき肉に塩・胡椒、ニンニクの入らないショウガたっぷりの水餃子であった。私も兄も文句を言うことなくモグモグと茹で上がるそばから平らげていった。 この時の食卓の匂いも忘れることの出来ない嗅覚ばかりではない『昭和の匂い』である。 狭い社宅の当時主流だった2DKの狭いダイニングで三人での夕食であった。父はいつも残業で遅かった。母は仕事から帰宅する

『昭和の匂い』と鰻

今日もnoteにnoteする昭和が懐かしい六十歳である。 昨日は母の握り飯から思い出す『昭和の匂い』であった。 嗅覚による『匂い』は大きく味覚に関係する。炊き立てのご飯での母の作る握り飯も美味かった。味噌をぬったやつだ。 まだ熱い炊き立てのご飯を手に取り握るのは愛する者のためでなければ出来はしない。その熱さは握ったものにしか分からない。 母の握ったそんな味噌握りはご飯の熱気が味噌の匂いを引き立てた。母がいなくなって、自分でやっても同じ味にはならない。二度と食べる事の出

『昭和の匂い』を残す少年

このnoteの記事でに多くの人の人生と多く人の考え方に出会います。 そして私も考えnoteにnoteします。 人の書いた文章でさまざまなことを考えるのは俳句を作る時に与えられる『兼題』と同じです。 noteでの私の琴線に触れる文章に誘われ、以前の投稿を思い出しました。 夏井いつきが選者をされている松山市公式俳句投稿サイト『俳句ポスト365』への投稿です。 俳句の創作は私の過去の記憶の捜索でもあります。 こんな時間を作ってくれる俳句と夏井いつきに感謝しています。

椿の花のいさぎよさ

街中でツバキをあまり見かけなくなったような気がする。 私が子供の頃、昭和のあの頃はよく生垣にツバキが植えられていた。 堅い実で何にするわけでもないのに、通りすがりに勝手にとってポケットに入れていたものである。 『椿』は春の季語である。 しかしながら『寒椿』は冬の季語である。 いつまでも初心者の私に俳句創作はなかなか難しい。 夏井いつきが選者をつとめる松山市公式俳句投稿サイト『俳句ポスト365』の兼題に昨年『寒椿』が選ばれた。 いつものように記憶再生装置である季語

『ボートレース』は競艇ではなかった

家内の作った玉子のサンドイッチをかじりながらこの文章を書いている。 思えば家内には苦労をかけるばかりで好き勝手な人生を歩いてきた。 あの年も大晦日まで仕事と称して『夫』としての機能を果たすことのないまま思うがままに生きていた。 あの頃は朝まで仕事や、飲んで帰れなくなることもあった。サウナによく世話になった。 でも、私はサウナが嫌いである。 サウナ自体が嫌いなわけではない。サウナにまつわる思い出が辛いのである。 しかしながら、昨晩このnoteで知り合ったボッチトーキ

通天閣は六五歳

写真は大阪天王寺から見る通天閣である。 以前の商売柄、こんなことが気になるのだが通天閣の竣工は1956年(昭和31年)、今年65歳なのである。 人間で言えば高齢者の仲間入りである。 私より4歳年上と知るとなんとなく親近感が湧いてきた。 いつもならば週二回この風景を見ながら合気道の稽古に行くのだが、このコロナ禍でしばらく休みにしている。 稽古と言っても口だけで教えているのでたいして体は動かさないのだが、全く動かさないのは体に悪い。 特に還暦を意識しだした頃から体調の

『色鳥』でおもいだす

父が他界してもうすぐ10年になる。 父もゼネコンで働いていた、腕のよい技術者だったと皆言った、そして父は家にいなかった。 父は高度成長期の勢いとともに幸せなサラリーマン生活を謳歌し生きた人間である。 今では考えられない明るい未来を信じることの出来た時代であった。 寒い寒い冬に父は他界した。 寒さが父を思い出させるのである。 二年も前の俳句投稿サイトへの投稿文章である。 兼題は『色鳥』、色鳥は秋の季語、秋に渡ってくる美しい小鳥のことを言い、花鳥とも言う。 この俳

美しいものを愛でて

美しいものが好きである。 それは花であり、宝石であり、文章であったりする。 美しいものは感動を与えてくれ、時には心を癒してくれる。 ここで出会う若いサラリーマンたちに以前の自身を重ねる。 私にもこわいものなど何もなく己が思いで突き進む時期もあった。 しかし歳を重ねるごとにどうしようもない現実に遭遇するようになる。 徐々に1たす1が2でなくとも息が出来るようになり、理不尽を理不尽と感じなくなっていった。 その代りに毎晩浴びるほど酒を飲み、暴れてケンカもした。 その頃は花

兼題は『春の夕焼け』だった

遅くに帰り、一人パソコンに向かい『俳句ポスト365』の発表の週であることを思い出した。 お便りコーナーをみて「あぁ、」と声が出た。 もともと俳句のたしなみは無く、大学合気道部の先輩に誘われて始めたのだ。 いまだに先輩方の言葉に逆らうことは出来ない。 この先輩にはずいぶん世話になり義理がある、10年も前に脳梗塞で寝たきりとなり動く指だけで器用にipadを扱い私に指示を飛ばしてくる。 企業戦士として闘い癒えることのない傷を負った。 出来る限り、手足となろうと思っている。 二週間

イソギンチャクを見たことがありますか

驚いた。 JR八尾駅の新しくなったロータリーでツクシを見つけた。 あろうとは思わなかった存在だったから驚いた。 今週が『寝たきりおやじ』こと、『ねずみ男』先輩と共に投句している松山市主催俳句投稿サイト『俳句ポスト365』の発表の週だった。 兼題は 磯巾着(イソギンチャク)であった。 自転車で行ける距離に海は私たちを待ちかまえていた、子供のころからイソギンチャクばかりでなく海の得体の知れない生き物たちとは顔なじみであった。 その得体の知れない奴等が意表を突いた場所から姿を現

サイネリア 私のしらぬ花のなまえ

まあまあの田舎で育ったので、世の男連中よりもたくさん植物の名前を知っているかもしれない。 しかし、花の名前は今一つだ。 今回も私が敬愛する夏井いつきが選者を務める、松山市主催の俳句投稿サイト『俳句ポスト365』に以前投稿した文章である。 兼題が『サイネリア』、初めて聞く花の名前であった。 この時もずいぶん悩んで句をつくったが、『並』であった。 俳句もなかなか難しい。 ◆今週のオススメ「小随筆」  お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見