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『ボートレース』は競艇ではなかった

家内の作った玉子のサンドイッチをかじりながらこの文章を書いている。

思えば家内には苦労をかけるばかりで好き勝手な人生を歩いてきた。

あの年も大晦日まで仕事と称して『夫』としての機能を果たすことのないまま思うがままに生きていた。


あの頃は朝まで仕事や、飲んで帰れなくなることもあった。サウナによく世話になった。

でも、私はサウナが嫌いである。

サウナ自体が嫌いなわけではない。サウナにまつわる思い出が辛いのである。

しかしながら、昨晩このnoteで知り合ったボッチトーキョーさんの記事を読んでいて久しぶりにサウナに行きたくなった。

昨年の松山市公式俳句投稿サイト『俳句ポスト365』の兼題は『ボートレース』、てっきり競艇のことて思っていたが『レガッタ』であった。

さすが、俳句の季語であった。

選者の夏井いつきにはいつもいろんなことを教えられる。

この時の競艇場の冷たい空気とサウナの映画上映室や仮眠室の剥いでも剥いでもまとわりついてくるような湿った暑いくらいの温かな空気を私の皮膚は憶えている。 

以下がその時の『俳句ポスト365』への投稿文章である。


◆今週のオススメ「小随筆 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪

レガッタなどという高尚なものにまったく縁のない人生を送ってきた。「ボートレース」と言えばそのまま「競艇」である。

ギャンブルが好きなわけではない。しかし成り行きで競艇場まで行ったことがある。

ゼネコン時代からの付合いのある行政OBの方がされていた仕事の手伝いで、ある年末に東京まで行った。

特殊なバクテリアを使ってレストランの厨房にある排水溝の廃油を溶かす臭いのきつい汚れる仕事であった。京都から東京まで夜を徹して車を走らせての作業であった。仕事の終わった早い午後にはくたくたになっていた。

二人で交代で京都まで東名・名神を一気に走り抜けて帰る予定だったが「泊まって帰るか」のOBの一声に従った。

従った先は平和島競艇場だった。横のサウナで夜を明かすと言う。

併設の映画館では『ラストサムライ』を上映中であった。

日本人と武士道を、アメリカ人が描いたこの映画は私のその年末一番観たい映画だった。

上映開始までに時間があり「ひと稼ぎするぞ」のOBの声のあとを競艇場までついて行った。

年末の冷たい空気の中、ボートのあげるしぶきは妙に白く見えた。疲れ切った二人の田舎サムライに勝負に勝てる要素はまったく無かった。『ラストサムライ』は期限なしの延期となった。

サウナ内の焼き鳥屋でビールを飲み串に食らいつき仮眠室に入る前に映画上映室に入った。

『阿弥陀堂だより』をやっていた。医師である南木佳士の小説が好きであった。

今晩はこれで手を打とうと心に決めながらも、リクライニングチェアに身をゆだねるとじわじわ来る全身の疲れを感じながら眠りに落ちようとしていた。

寺尾聰の低い声は私の眠さを誘った。

そのほんのしばらく後に室内を揺るがすような大音響、離れた場所で先に寝入ったOBのいびきであった。いたたまれなくなった私は一人仮眠室に向かった。

OBもしばらくしたらやって来た。ほかの客にたしなめられたようであった。

雑魚寝で大晦日の朝をサウナの仮眠室で迎え、朝早く京都に向かった。

大掃除をすることもなく家内の買い出しに付き合うこともなく自宅に着くと大晦日は終わっていた。


同じ言葉でも人によって当然記憶は違い、持つイメージは違う。

ボートレースは私には家族への罪悪感でしかない。

こんなことを口にする男は多いことと思う。

ギャンブラーではない私はそれとは少し違うと言い訳したいところであるが、考えれば仕事にかこつけて遊んでいるとしか第三者の目には映らないだろう。

仕方ない、義理と人情で世の中は動く、男は言い訳無しで信じた道を進むしかない。

東名高速を京都に向いて走り、駿河湾沿いから振り返って見た富士山がいつもよりきれいだったのをよく憶えている。 /宮島ひでき

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