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イソギンチャクを見たことがありますか

驚いた。
JR八尾駅の新しくなったロータリーでツクシを見つけた。
あろうとは思わなかった存在だったから驚いた。

今週が『寝たきりおやじ』こと、『ねずみ男』先輩と共に投句している松山市主催俳句投稿サイト『俳句ポスト365』の発表の週だった。
兼題は 磯巾着(イソギンチャク)であった。

自転車で行ける距離に海は私たちを待ちかまえていた、子供のころからイソギンチャクばかりでなく海の得体の知れない生き物たちとは顔なじみであった。
その得体の知れない奴等が意表を突いた場所から姿を現した。
そんな記憶が呼び起されたのであった。

先輩の俳句は『人』、私は中くらいの『並』
以下がついでに投稿した文章である。

◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪

意外であった。 イソギンチャクを漢字で考えた事が今の今まで無かったのである。
考えれば『磯』、『巾着』当たり前の単語の構成である。 文字、言葉、日本語に敏感だと思っている私がなぜイソギンチャクを漢字で考えなかったのかはすぐに分かった。

磯巾着が嫌いだからである。

子どもの頃からなじみのある磯巾着、クマノミが戯れている磯巾着と同じ形のスモール版が近くの磯にも生息していた。 動くことなく岩にくっつきゆらゆら揺れる触手を棒で突っつくとヒュッとすぼめるのである。
そして妖怪『やまびこ』のように一たび居ついたその場所から誰かと入れ替わるまで動けないかと思いきや、なんと移動もできるのである。
あな恐ろしや、と思いつつ恐ろしいものほどよ~く観察してしまう怖いもの見たさの私がいた。

磯遊びは楽しく面白いものであったが見たくない恐ろしい生き物がこの磯巾着のほかにも時々いた。
その中でも『富士壺』、こいつも私の頭の中ではフジツボであった。
特にこいつにはひどい目に遭わされているので目にもしたくない。
子どもの頃の話である。
いつもように磯遊びに出かけた私はつまづき岩で膝をしたたか打ったのである。そしてその晩熱を出し膝が腫れあがり、翌日母に手を引かれ病院に行った。すぐに医者は私の膝を切開したのである。すると、なんと膝の皿には無数のフジツボが張り付いていた。私が膝を打ち付けたあのフジツボの張り付いた岩肌同様に。
と、ここで目が覚めて夢の中での出来事で膝をさすってホッとしたことがある。 それくらいフジツボも怖い、怖いが漁船に張り付くフジツボを子供の頃はジッと見入ってたものである。これを食用にするなんて想像すらしたくもないのである。

今回の『磯巾着』の兼題で私の記憶再生装置はまたフル回転し、また余分な記憶まで再生させてきた。 この不思議な記憶再生装置はいやなことまで私に思い出させる『記憶再生装置』なのである。/宮島ひでき

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