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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2023年1月の記事一覧

夢のかず

冷たい夜ではあったが、コピー機を使いたくて近くのコンビニに行った。素面でこんな時間に外を歩くことが無いので遠回りして帰ってみた。妙に月が明るくて知らない街を歩いているような気がした。街中にまだ残った田んぼの向こうに戸建て住宅が並び、駅にはタワーマンションがある。もうしばらくしたらここにはどれだけの数の夢が目覚め起き出すのだろうと思った。近接した家の中で皆がそれぞれ違う生活をしているが、ある時間帯はほとんどの人たちが夢を見るという同じ行為をしている。皆がそんな同じ行動をするのが

夢であいたい

歌謡曲の歌詞のようなタイトルである。 夢でもし逢えたら素敵なことね、、本当にその通りである。 夢で逢いたい人が私にもいる。生きた人間にも、先にあの世で待ってくれている奴らにも。 ここのどこかで以前、私のまわりには自死を遂げた人間が多いと書いた。そんな連中の事をこの年齢になって時々思い出すようになってきた。その中でも社会人となって先にあの世に行ってしまった歳の近かった三人がよく出て来る。 一人は関西の地方都市で建設業界では有名な不動産屋の専務の息子である。私が営業時代にある

夢のきおく

夢は毎晩見ているのであろうが、たぶん社会人になってから朝起きて夢を記憶に残していることがあまりない。 大学生の頃によく夢を見ていた。同じような夢を何度か見た。もしかしたら私が以前生きていたその世の記憶なのかと思える夢を見ていた。 私は都会に住んでいた。それが東京であるかどうかは定かではない。時代は今よりもずっと前である。街中を歩くと年配、いや老人たちのなかにはまだ着物を着ている者もいる。そんな時代にも生きていたことがあるような気がする。洋風の建物に住み、広めの裏庭と外部との境

夢をかたちに

夢をかたちに どこにでもありそうなキャッチコピーのようですが、この言葉が一番しっくりきてぴったりなように思っています。 私が以前経験した建設業の営業には、営業の方法の定石というものがありませんでした。 理由は簡単です。売るものが形になっていないからです。 湯飲み一つ、ポテトチップス一袋など出来上がったものであれば、それを持ち歩いて湯飲みの色・形状・持った感じなどを直に体感してもらえます。ポテトチップスに至っては食べて美味いかそうでないかはすぐに判断できるでしょう。 更地に建

金曜日の夜、無駄なような大切な時間

金曜日の夜、今宵も冷たい夜だろう、なるべく早く仕事を切り上げて家族の待つ自宅に向かうもよいだろう。 それともたまには仲間たちと、ネオン街に消えていくのもよいだろう。 サラリーマン生活を懐かしく思い出します。 金曜日の夕は特別でした。 残った仕事を来週に残すか、残業して片付けて気持ち良い週末を迎えるか。 嫌な事を報告して来週に持ち越さずに気分良く飲みに行くべきか、若いサラリーマンの頃いつも迷いました。 明日できる事は今日は止めよう、上司に不快な思いをバトンタッチせずに、この

冬の寒さが思い出させる

こんな寒い夜に思い出す。いろんな事を思い出す。 以前の近鉄線の座席下のヒーターがよく効いた。これがかなりのクセ者であった。 酒でも飲まぬ限り寝過ごす事などないのだが、当時は毎晩酒を飲んで帰っていた。これでもかこれでもか、くらい飲んでいた。寝過ごすのは決まって冬であった。 座れることのない通勤列車も魔が刺すかのように座れる時があった。 そんな時にいつも事件は起きた。 当時三重県方面に向かう近鉄線沿いに住んでいた。 たらふく飲んできたのに終電までに時間があり、鶴橋の立ち飲みで

冬の公園の前に立ち思ったこと

昨日の朝、我が家のバアチャン猫ブウニャンを病院まで連れて行った。人間の年齢で90歳を越えているようであるが、そう見えない容姿は得なのか損なのかよく分からない。限りある命である。「よくぞここまで頑張ってきたなぁ」と声をかけるが「ニャァ~」の返事に人間のような老いを感じることは無い。 点滴を受けて、冷たくなってきた空気を切って自転車で帰る。毛布に包み顔だけ出したカゴの中のブウニャンが鼻をヒクヒクさせている。たまには外の空気が気持ちがよいのかも知れない。人間の言葉をしゃべることの

目覚めとともの雑感(2023.1.23)

雨音で目を覚ました。 ポツポツと嫌な音じゃない。目覚まし時計ではないこんな優しい音で目を覚ます日にはなにかいい事がありそうな予感がする。 昨日は午前中の稽古に久しぶりに一番に稽古場に行った。いろいろあって前夜の仕事は休んだ。一人でマットを敷こうと思ったのだが、前のコマのバレエがもたもたしていてそのうち若い稽古生が一人やってきた。二人で敷き始めるとすぐに皆さん集まり、全員で敷くとあっという間に作業は終わった。日曜日の午前中に自分の時間を使って合気道の稽古にやって来る皆さんには

朝、ポテサラサンドイッチを食って思ったこと

朝早くから料理をよくします。生きるために腹に入れるものを自分で作ります。こんな当たり前のことをずっと繰り返しています。こんな当たり前のことの出来る自分を幸せ者だと思っています。 暗い話は好きじゃなく、お涙頂戴も好きじゃない。 なのに、母、兄の事を考え出すと暗く辛い思い出ばかりが湧き出て来る。 「人の運とか不運とかを考えることはずっと前に止めてしまった」と、どこかの記事に書いたけれども、やっぱり残念ながらこの運、不運はこの世に存在する。 昨日の10時5分からNHK『dear

湖畔から見た朝陽(私の思い出)

最近ふと思い出すことが多い。これも年を重ねた証拠なのであろうか。死ぬ間際に見ることが出来るという『走馬灯』とはこんな最近思い出したことのリバイブのようなものなのか。ならばたいして面白くなさそうである。 昨日の私の記事にカナダにお住いの ながつきかずさん からコメントをいただいた。ながつきさんはアメリカ人のご主人とともにカナダのシムコー湖畔に移り住み生活されてきた。ご不幸にもご主人は他界されたのだが、ながつきさんは最期までシムコー湖畔でご主人に寄り添い、今はお一人で生活されてい

日記のような、びぼーろくのような(2023.1.18京都大原野の早い朝)

庭の椿の落花音で目を覚まし、まだ明けぬ闇の朝を独り歩く。 こんな朝が好きである。 寂しく悲しくなるような迫る夕闇を背に歩くより、 こんな朝が好きである。 私の吐息は白く型取られ、朝の冷気と擦れる音が聞こえてくる。 こんな朝が好きである。 すべての存在を押しつぶしてしまような夜のしじまは私にさよならと言ってくる。 またすぐ来るくせに言ってくる。 お前が友だちになりたいと思ってるのは知っている。 でも私にそれは出来ないんだよ。 もうずいぶん前に分かれは告げたはずだ。 もう、私に

夜、頂いた湯飲みをながめて

熱いお茶が美味しくうれしい季節であるはずが、なんだかおかしな陽気のニ、三日が続いた。 大学を卒業してから40年近く持ち歩いている湯呑みである。 合気道の恩師、市橋紀彦先生から頂いたものである。 新宿若松町にある本部道場での稽古の帰りに時々先生のご自宅に寄せていただいた。本部道場から遠くない明治通りに出る手前の都営住宅に住まわれ、質素な生活をされていた。奥様は花の先生をされているのでいつも伺うお昼前は誰もいない。きれいに掃除も整頓もされた居間に通されて、先生が湯がいてくれたう

雨の日の赤い灯、青い灯

金曜日の夕、いつもの時間に家を出て稽古に向かう。夕方から降り出した雨はこの時期にはめずらしく冷たい雨ではなかった。まだ明るさの残る駅までの道を傘をさしてとぼとぼと歩く。 JR天王寺駅で降り、いつも歩道橋から通天閣を仰ぎ見る。そして眼下の阿倍野筋を見やると赤いライトが明滅する。梅田方面に向かう自動車のテールランプがいつも綺麗である。とくに雨の日のテールランプの輝きが好きである。 合気道の稽古に行く途中、いつもこんなことに時間を費やしている。 小学生の低学年だったと思う。蓄膿症

暖かな冬の日に『冬眠』を思う

暖冬を喜ぶ人は多いようで少ないと思う。 困るのはスキー場や第一次産業である農業、漁業、林業ばかりでなく、季節の物が売れないということは全産業に影響がある。 喜んでいるのは通勤が楽だと言っている呑気なサラリーマンくらいではないだろうか。 では、自然界の動植物たちはどうなのであろう。例年今頃であればストレス無く静かな山の穴蔵で寝ているであろうクマが街中に出てきたというニュースを最近見る。 本来その時期に無い自然界の食い物が若干残っていることや、温かさが身体に与える影響もあるよ