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雨の日の赤い灯、青い灯

金曜日の夕、いつもの時間に家を出て稽古に向かう。夕方から降り出した雨はこの時期にはめずらしく冷たい雨ではなかった。まだ明るさの残る駅までの道を傘をさしてとぼとぼと歩く。
JR天王寺駅で降り、いつも歩道橋から通天閣を仰ぎ見る。そして眼下の阿倍野筋を見やると赤いライトが明滅する。梅田方面に向かう自動車のテールランプがいつも綺麗である。とくに雨の日のテールランプの輝きが好きである。
合気道の稽古に行く途中、いつもこんなことに時間を費やしている。

小学生の低学年だったと思う。蓄膿症になりかかり耳鼻科にしばらくのあいだ通わなければならなかった。そこでの治療方法は今もそれほど変わらないのではないだろうか、『鼻うがい』をさせられた。両鼻に聴診器の耳に当てるような差し込みを突っ込まれて、そこから食塩水だと思うのだが洗浄液が一定時間吹き出して来る。鼻腔をこの食塩水が通過するから塩辛くて涙がこぼれた。海で溺れかけて鼻から海水が入った感じだった。その時の洗浄機に残り時間を知らせるパイロットランプが赤・黄・緑で点滅しながら一定時間で順番に消えていった。それが私にはきれいに見えてなんだか好きだった。こぼれた涙でにじむパイロットランプが雨の日の自動車のテールランプに似ているのである。
こんなことを考えていると更に稽古に行くのが遅くなる。

ゼネコン京都営業所時代に大きな老人ホームを経営する理事長の話を聞く機会があった。そこの施設は山の斜面に建物が張り付くように建てられた。そこからの眺めは京都市内でも指折りだった。各室から市内が一望できる。五山の送り火も、京都駅前の和ロウソクの京都タワーの姿も観光案内のパンフレットを見るように眺望できた。そして理事長が言ったのは「人間いくつになっても赤い灯、青い灯の見えるところで生活したいものだ」であった。
私にはえらく納得のいく腑に落ちる話だったのである。理事長のその言葉が予言となってか、高級有料老人ホームである施設は今も超人気である。

どうもテールランプやパイロットランプの光に気持ちを奪われるのは私だけではなさそうである。でも最近の私はピカピカ光る灯りよりも、ぼんやり赤くともる赤提灯がいい。八代亜紀の『舟唄』に出てくるような店があれば何も言うことは無い。あんな店、どこに行ったらあるのですか、といつか阿久悠に訊きたいものである。
てなことを考えているうちに稽古に遅刻した。

また宮島のオチは同じだと、どこかからお叱りを受けそうである。

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