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金曜日の夜、無駄なような大切な時間

金曜日の夜、今宵も冷たい夜だろう、なるべく早く仕事を切り上げて家族の待つ自宅に向かうもよいだろう。
それともたまには仲間たちと、ネオン街に消えていくのもよいだろう。

サラリーマン生活を懐かしく思い出します。
金曜日の夕は特別でした。
残った仕事を来週に残すか、残業して片付けて気持ち良い週末を迎えるか。
嫌な事を報告して来週に持ち越さずに気分良く飲みに行くべきか、若いサラリーマンの頃いつも迷いました。

明日できる事は今日は止めよう、上司に不快な思いをバトンタッチせずに、このまま幸せな週末を迎えさせてやろうという上司に対する思いやりを持ったがために、私の週末はいつも二日酔いと後悔の念で満ちていました。

今考えるとその頃は取るに足らないような事にこだわっていたように思います。
まだものを知らぬ私はずいぶん肩に力が入っていたようにも思います。
取り越し苦労もあったと思います。

でも、振り返ってみればなんてこともない、そんな事も必要だったのでしょう。
二十代には二十代の、三十代には三十代の悩むべき事があるはずです。
人として、サラリーマンとして通過すべき道を通って来たわけです。
若いみなさんには、逃げる事なくその時でなければ感じ、悩めないことを経験してもらいたいです。
そして次のステージに立ってください。
人生は何もしなければ長く、でも頑張っていればあっという間に過ぎていくものです。
私もこの年で今感じなければならない事を感じ、悩まねばならね事を悩み、残された年月を重ねていきたいです。

そんなこんなを考えながらの金曜日の夜もいいものかも知れません。
行きつけの飲み屋で一杯やりながら、チェーン店の安い居酒屋で仲間と一杯やりながら、もちろん自宅で独り一杯やりながらでも。

今まで何百回もの悩める金曜日の夜を過ごし、何百回もの土曜日に悔恨の朝をむかえました。
でもそんな事も必要な当たり前のことだったのだと今は思えるようになりました。

私は今晩は合気道の稽古を終えてまっすぐ家に帰ります。
老猫ブウニャンの待つ家にまっすぐ帰ります。
節目としての金曜日の夜、何をしていても無駄なような大切な時間かも知れません。

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