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暖かな冬の日に『冬眠』を思う

暖冬を喜ぶ人は多いようで少ないと思う。

困るのはスキー場や第一次産業である農業、漁業、林業ばかりでなく、季節の物が売れないということは全産業に影響がある。
喜んでいるのは通勤が楽だと言っている呑気なサラリーマンくらいではないだろうか。

では、自然界の動植物たちはどうなのであろう。例年今頃であればストレス無く静かな山の穴蔵で寝ているであろうクマが街中に出てきたというニュースを最近見る。
本来その時期に無い自然界の食い物が若干残っていることや、温かさが身体に与える影響もあるようだがはっきりした原因は分からないようである。これらの原因が長い地球の歴史上の誤差でなく、人間の引き起こしている温暖化であるならば由々しきことである。
出来ればクマ達にはゆっくり心身を休めてもらいたいものだ。『冬眠』て言葉が死語になる日が来ないことを心から祈る。

この『冬眠』という言葉に子どもの頃憧れていた。でも同時に、出来ないだろうなとも思っていた。南欧のシエスタっていうのにも憧れる。これなら出来る自信がある。温暖化で日本は亜熱帯に近づいているんだから、そのうちそんなルールが法制化されてもいいんじゃないかと最近の暑い夏を迎えるたびに思っている。

寝ることはそれほど得意じゃないが、寝ることは嫌いじゃない。でも、やっぱり冬眠はしてみたくないかも知れない。温かな安らかな冬眠を終えて、大きなあくびとともに目を覚ますと周りには誰もおらず、地球は最後の日を迎えていたなんてSF映画のようなことがありそうで私は怖いのである。ホラー映画よりも私はSF映画の方が怖い。貞子やジェイソンとならば戦えそうな気もするが、私一人の力で抗うことの出来ない自然現象とか地球の最後に立ち向かいたくはない。
いつの日にか長い氷河期がやって来て、地球人全員が冬眠してその終わりを寝ながら待つように義務付けられても私は一人洞窟にでも逃げ込み自然な老いとともに生涯を終えたい。

あとは長い眠りの後の目覚めが怖い。寝ている間ずっと恐ろしい夢を見ていそうで怖い。

思い起こせば若いサラリーマン時代、大阪でしこたま飲んで自宅に向かい、京都行の東海道線に大阪駅から乗ったのに気が付いたら大阪駅。再び京都行に乗ったがまた大阪駅に戻っていたことがあった。疲れていたとはいえ、あれも恐ろしい体験であった。仕方なくベンチで朝を迎えたが、次の日の夜に自宅に帰っての家内の顔がまた恐ろしかった。まだ携帯電話など個人で持てない時代だった。なんと言い訳しても家内に日本語は通じなかった。二度と経験したくない恐ろしい体験であった。

暖かな冬の午後に電車に揺られてうつらうつらしながらそんなことに思いを馳せていた。
『冬眠』というたった二文字からこんなことまで思い出させるこの言葉は単なる『記憶再生装置』ではないと思っている。

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