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もう明日は弥生3月、少し前に正月を迎えたと思っていたのに早いものですね。 3月は別れの季節です。 40年前の今頃、私はは進学先も決まり、ウキウキと引越しの準備をしてたと思います。 でも母は私の旅立ちを喜びつつも寂しい思いで過ごしたことでしょう。 東京まで送ってくれた母、東京駅のホームで別れた母の顔を思い出します。 訣別と始まりが春ですね、こんな春が私は好きです。 これまで60回の春を迎え、人生におけるこの春との出会いは百歳まで生きても100回しか無いのですね。
人から聞いた話で恐縮である。 建設業営業マンだった友人は、若い頃に袋とじした図面や資料を持って郵便局まで走らさせられたそうである。 何のためなのか教えてくれたのは、袋とじに割印としての消印を押してもらうためだったそうだ。 もちろん切手も貼る。 何円の切手でも良かったそうだ。 要はその日のその時間にこの世に存在している事が分かればいいのだ。 その証明はそののち、公証役場で公正証書としてこの世に残すようになったそうである。 じゃあ、これを何のためにするのかだが、業界での工事のチ
京都は盆地で夏は暑く冬は寒いと言います。 この大原野は大阪から向かうと京都の街中に入る手前左側、西山です。 まっすぐ向かって突き当たる御所は北となり、御所に向かって右手が東、左手が西です。 40年近く前、京都に来てそうやって京都の方位と地理を憶えました。 しかし底冷えのする一日でした。 この竹林道は大原野神社に向かう裏参道です。 紫式部は大原野神社を氏神と崇め、この大原野の地をこよなく愛していたそうです。 ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがへる 紫式部の
春はあけぼのやうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる ここまでは憶えています。 朝、東の空を見やるとこの乾いた空気の中、山々の稜線はしらじらの時間を過ぎて真っ赤に燃えた朝陽は私を一日の行動にいざないます。 人にもよるのかも知れません。 私は朝型の人間、子どもの頃からずっとそうです。 そして、人並みにいろいろな悩みを持っていました。 恋の悩みも、友人との関係も、些細なことを悩むことも多かったように思います。 その中でも家族の悩みはずっと途切れ
また菜の花の季節がやって来ています。 兄がいる愛知県田原市の菜の花畑です。 この風景と出会うと与謝蕪村の 菜の花や月は東に日は西に の句を思い出すのですが、時期が終わったらこの花はどうするのかなぁと、つまらぬ現実的な事しか考えられません。 しかし、傾いた夕刻の陽に照らされる菜の花畑はとても幻想的な風景です。 いつも時間に追われるだけで、なかなか出くわすことのない風景なのですが、運良く出会えるその時は兄にアクシデントのある時です。 ですから、実は運は良くなく、幻想を感じ
新潟県村上市の三幸製菓の工場が火事で焼けたと知り衝撃を受けています。 美味しいせんべいが焼けてしまったであろうこと、それ以上に働かれていたご年配の方々が亡くなった事に心が痛んでいます。 春めく陽気のなか、豊橋駅からJR飯田線に乗り換える途中、与謝蕪村の 春の海終日のたりのたりかな を思い出していました。 私は与謝蕪村の俳句が好きです。 画家でもあった蕪村が写実的な句を詠むことは当たり前かも知れませんが、その場に居合わせているような気にさせてくれるのがすごいです。 十七音
東京が銀世界だった頃、大阪は少しだけ雨が降った。 まだ二十代だった頃、雪の積もった祇園の街を長靴を履いて歩いていた。 大学時代の同級生がわざわざ京都まで遊びに来てくれたのである。 しからばと、悪天候であったが京阪四条駅で待ち合わせて学生気分で夜の街に繰り出した。 四条大橋の西詰にある東華菜館の最上階に日本で最古のエレベーターで上がり、すでに白くなった東山にまだしんしんと降り続く雪景色を眺めながら北京料理を腹いっぱい食い、紹興酒を腹いっぱい飲んだ。 そして、祇園まで行った
鉄道オタクではない私の、最近乗ることの少なくなった京阪電車との出会いは昭和60年の秋、まだ暑さの残る初秋であった。 社会人になって、東京での研修を終えての赴任先が京都の京阪電車の『藤森』(ふじのもり)という駅が最寄りの営業所であった。 初日、大阪支店のあった京橋駅から京都営業所の事務主任にまるで人買いに買われた子のように手を引かれ京阪電車に乗り、生まれて初めての京都の地に降り立った。 その初めての地、藤森は私がテレビで知る京都とはまったく違う住宅地と商業地が混在したどこにで
冬の空気は残るものの、陽射しは暖かく春を感じる一日だった。 近所の神社、この神社のクスノキが好きで必ず見上げて下を通る。 長い間この境内地の端に立ち、下の道を通る人間を見続けて来たのであろう。 無鉄砲だと人に言われて生きて来た。 私としては、いつも先を考えて困難があろうとも二者択一で最善を選択してきたつもりである。 この先、もっと増える『介護』で究極の選択を迫られる人間が増えるだろうと思う。 両親ばかりでなく、配偶者、兄弟姉妹、子ども達までもがその対象になっていく。 そし
最近パソコンに向かいながら、夜中にガシガシと文章を書き綴ることが多く、紙のノートとシャープペンシルを机に置いている。 移り気な私は今はこのシャープペンシルがお気に入りである。 多くの男性と少なからずの女性は文房具を愛している。 もし次に生まれることがあるならば、本屋もしくは古書店、出来れば文房具も置いた店をやってみたい。 好きなものに囲まれての生活は幸せだろう。 不思議なものでペン一本で気分は変わり、眠さも薄れてくる。 気に入った万年筆、ボールペン、鉛筆ホルダーそしてシ