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人が生きる理由

春はあけぼのやうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる

ここまでは憶えています。
朝、東の空を見やるとこの乾いた空気の中、山々の稜線はしらじらの時間を過ぎて真っ赤に燃えた朝陽は私を一日の行動にいざないます。

人にもよるのかも知れません。
私は朝型の人間、子どもの頃からずっとそうです。
そして、人並みにいろいろな悩みを持っていました。
恋の悩みも、友人との関係も、些細なことを悩むことも多かったように思います。
その中でも家族の悩みはずっと途切れることはありませんでした。
障害を持ってこの世で生きることになった兄貴のことでの悩み。
これが実はある人の軽はずみな言動によって起きた事故に近いものであったことを知り悩みは深くなっていきました。
取り返すことの出来ない人の人生と、障害を持っても生きなければならない人生の意味を考え続けて来ました。

子供ですから単純です。
その頃の自分の環境がただただ嫌でした。
よく死んだら楽だろうなと考えたものです。
他人への殺意が芽生えたのもその頃です。
私の武道の原点はそこなのです。
間違ったスタートですが、子どもの考えること、仕方なしです。

気がつけば今で言うヤングケアラーでした。
共稼ぎの家でした。
当時の兄の治療費は高額だったはずです。
父の年二回のボーナスは東京大阪の大きな病院での治療や手術、入院費用だったようです。
看護師の母の夜勤でいない兄と二人きりの夜は不安でしたよ。

夜ですね、死にたいと思ったのは。
でもしらじらと夜が明けていき、顔を出した朝の陽は私に生きる力を与えてくれました。
そんな夜が迫る夕方の陽は嫌いでしたが、朝陽は友達になってやってもいいかな、と思いました。

生きるために生きているんだとしかまだ分かりません。
現在、何人かの単独では生き辛い方たちとほんの少しだけ生活をし、考えています。
勝手なお世話と言われるでしょうが、その人たちの生について夜中に考え続けます。
たぶん、明確な答えは出てこないと思っています。
考えることによってそんなことを超越できる日が来ると思っています。
私の兄貴のような存在は自然界では当たり前のこと、ただ本来の自然界では生き抜ける確率は極めて低いのでしょう。
今の人間の世界で生きて行くことの出来る兄貴たち。
たぶんこういう考え方をすることが間違っているのでしょう。
「ああ、あんな奴がいるな」くらいで普通に私たちのなかで生活できるようにならなければならないのだと思っています。

答えの出ないことを考え続け、いつしか考えることがばかばかしくなり、意味の無いものだと思えるようになることが大事なんだと思います。

私は朝、目が覚めて死にたいと思ったことはありません。
たとえその朝提出しなければならない宿題が出来ていなくてもそんなことは思いませんでした。
朝は、朝陽はそんな力を持っていると思います。

春はもうそこまでやって来ていますよ。
朝が来ました。
今日も行動開始です。

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