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無鉄砲の考えるところ

冬の空気は残るものの、陽射しは暖かく春を感じる一日だった。
近所の神社、この神社のクスノキが好きで必ず見上げて下を通る。
長い間この境内地の端に立ち、下の道を通る人間を見続けて来たのであろう。

無鉄砲だと人に言われて生きて来た。
私としては、いつも先を考えて困難があろうとも二者択一で最善を選択してきたつもりである。

この先、もっと増える『介護』で究極の選択を迫られる人間が増えるだろうと思う。
両親ばかりでなく、配偶者、兄弟姉妹、子ども達までもがその対象になっていく。
そしてケースは個々で様々だ。
私のように一度に複数の介護を抱える人間もたくさん出てくるだろう。
これからそんな場面に出くわす人は少しだけ考え、少しだけ苦労をし、あとはプロに任せるべきである。
そのために介護保険料も税金も払っているのである。

私のように自分でなんとかしようなどと考えると家族を巻き込んでしまう。
そして自身も仕事どころかやりたいことが何も出来なくなってしまう。

65歳以上の要介護者が人口の5%以上いるようである。
そしてこれは増えていく。
そして精神・知的・身体障害者は人口の7%いる。
合わせると12%、日本の人口を12,600万人として単純に計算しても1,500万人以上になる。
不登校、引きこもりなども加えて考えていくともっと増えていく。

この数字で何が言いたいかと言うと、まったく介護に関わらなくてもいい日本人が少ないということである。
家族の悩みを抱えなくとも済んでいる人間は少ないということである。
一度は悩むべきである、そして自分の家族の幸せと自分自身の幸せを考えるべきである。
そしてこの問題はプロに任さなければそのうち日本の国力は今以上に落ちてしまう。

峠を一つ超えて思ったのは、要介護となった父母や兄が、健全でいて普通に思考が出来るのであれば、私に「そこまでやらなくていいよ」と言ってくれたであろう、そこを知る、ということであった。
何を持って判断するのかそのモノサシは個々で違うと思う。
しかし介護者自身が幸せにならなければ被介護者は幸せにはならないだろう。

他人ごとではない介護、避けて通るわけにはいかず、我々が天より与えられた意味のある営みなのかも知れない。
そしてこの営みは通過してみなければ決して介護の真の理解は出来ない。

介護、好まぬことは他人事として考えることの得意な現代人に必要な営みであるかも知れない。

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