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切手と東欧の国

人から聞いた話で恐縮である。
建設業営業マンだった友人は、若い頃に袋とじした図面や資料を持って郵便局まで走らさせられたそうである。
何のためなのか教えてくれたのは、袋とじに割印としての消印を押してもらうためだったそうだ。
もちろん切手も貼る。
何円の切手でも良かったそうだ。
要はその日のその時間にこの世に存在している事が分かればいいのだ。
その証明はそののち、公証役場で公正証書としてこの世に残すようになったそうである。

じゃあ、これを何のためにするのかだが、業界での工事のチャンピオンを話し合いで決めるための材料だったと言う。
そんな因習が長い歴史の中に出来上がり存在していたという。

しかし、こんなことは何も建設業界に限られた事ではなくどの業界でも、日本以外でも、行われてきた事なのである。

これを悪とする法律からすれば悪い事であろうが、高度成長期の中で溢れるほどの工事を整理して業界全体がメシを食えるようにするためや、逆に公共も民間も冷え込んだ時代に業界の上から下までがメシを食うために必要な事であった。
関係する全ての業者、その家族が普通にメシを食い、子を育て、たまには娯楽に興ずるために必要な事であったのだ。

ただ、それは表立って出来る事ではない、そうすると自ずと限られた人間が担当するようになる。
そして、それは往々にして属人化してしまう。
傍から見て分からぬ闇を作ってしまい、そこには本来あり得ない利権までも作ってしまう事もあった。
それは決してやってはいけない事なのである。

友人は3Kと言われる建設業界の末端まで見てきたと言う。
一日泥にまみれて汗をかき、九千円の日当で家族を養い、子を育てる真面目な男達を見て来たと。
共に汗を流したこともあったと。
そんな男や家族達がメシを食い安心して生きていくためには、必要悪かも知れないがそんな因習も必要だったと言う。

私は傍から見た一部しか知らないの決めつける事が嫌いである。
中に入り自分の目で見て肌で感じ評価して判断したいのだ。
隣の家の夫婦喧嘩の原因が分からないのとよく似ている。

世界中で起きている紛争が過去にどんな歴史があって起きているのか分からない。
不勉強で今の世界情勢も長い歴史も分からない。
なんとなく分かるのは香港と台湾のことだけだ。

だから、何をどう考えればいいのか分からない。
何をどうすればいいのか分からない。
分かるのは一般市民が犠牲になるという事だけである。

不甲斐なさを感じるが仕方ない。
だから、飲みに行けなくなった飲み代を貯めて、いずれ困る犠牲者である人々の再建に役立つように時期が来たら寄付をしたい。
あとは一度、システマ格闘者と真剣に闘ってみたい。


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