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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年6月の記事一覧

梅雨とトラック

仕事でトラック販売業の方々と話をする機会がある。 雨が降ろうが風が吹こうが物流を止めるわけにはいかない。 災害復旧で活躍するのはトラックであり、今回の流行り病でも生活必需品の輸送は止まることはなかった。 いや、止めることは出来なかったのである。 そこは3Kの世界である。 危険、汚い、きつい、の3Kの世界に流行り病の感染の危険も加わり4Kの中を荷を滞らさせること無く働き続けてくれた。 なんだか新しいテレビの画像の世界のようである。 そして、このトラック運送業のほとんどが中小

梅雨とコインランドリー

学生時代の洗濯には難儀した記憶がある。 昭和56年、1981年の春に大学生となり東京の江古田の住人になった。 入学して2年までの二年間は大家さんの離れの別棟を学生三人で借りていた。 合気道を始めたら毎日道着を洗濯しなくてはならなくなった。 もちろんコインランドリーである。 よくあるような恋話などそこには無く、空いた洗濯機を見つけ道着を放り込んで時間になると取りに行く、ただそれだけの場所であった。 自室で本を読んでいたのだが、私にはコインランドリーで過ごす時間が無駄に思えてしか

梅雨とマイカーム

三度目の引っ越しもリヤカーと後輩二人の手伝いで決行された。 学生最後の私の砦は西武池袋線練馬駅まで徒歩5分ほどのところだった。 左官屋さんのご一家、住み込みの若い職人さんを何人も住ませている大きなお宅の一室、空いた職人さん用の部屋を借してもらったのである。 最後の一年くらいは静かに生活してみたかった。 少しは真面目に授業も受けてみようとも思っていた。 お借りした二階のその部屋は南向き、それまで済んだ部屋の中で一番陽当たりが良かった。 大学四年、皆就職に必死になっていた。 そ

奇を衒う (きをてらう)

『きをてらう』なんて言葉がある。 私がサラリーマン時代にお世話になり始め、いまだに扶養家族のように面倒をみてくれる大先輩がいる。 京都駅南のディープなエリアでよく酒をごちそうになった。 「誰が見てるかわからんから、お前は金を出すな」がその方の口癖だった。 いろんな行政マンと付き合いをしたが、地域と地域の住民の生活を一番に考える尊敬できる方である。 在日コリアンの方が生活されているこのエリアでよくごちそうになった。 美味しい韓国料理をここで初めて知った。 それまで知らなかった

梅雨 (つゆ)

もうすっかり梅雨ですね。 田畑を潤す恵みの雨は通勤の私の足を早めました。 恵みの雨、必要なのは理解しますが、通勤の時間帯だけ止んでもらいたいものだといつも思ったものです。 子どもの頃は、雨は雨でそれなりに楽しんでいましたね。 アジサイの葉に出てくるカタツムリを探したり、水たまりの深さを長靴で測ってみたり、いつもより時間をかけて通学してたように思い出します。 いつもと違う風景を目にしながら歩くことにも楽しみを覚えていました。 歳とともにやらねばならぬことも、責任も増えて、気

梅雨の紫陽花 (つゆのはな)

この時期、どこにでも目にするアジサイの花。 実は、私はアジサイの花が好きではない。 きれいだと思えるのはほんのひと時、その後が良くない。 散るのが当たり前なのはどんな花でも同じなのに、このアジサイは一番後味の悪い花のような気がする。 ほんの少し前に咲いた桜とあまりに違う往生際の悪さである。 今年の桜も例年のように目にすることは無かった。 流行り病のために愛でてやること無いなかを、寂しく散っていったのだろうか。 しかしながら、私は本来桜はそんなふうに人知れず咲き、散っていく

梅雨の思い出 (薔薇でおもいだす)

大阪は中之島公園 『ほろり落とした幸せを  あなたと二人拾う街』 クールファイブの中之島ブルースの舞台でもある。 普段はそれほど人は多くなく、いつも仕事の帰りにここを通りその日の上司への報告を歩きながら考えた。 しかしながら、この時期だけは特別であった。 五月、一年で一番素晴らしい季節を独り占めするかのように中之島公園のバラ園は一斉にカラフルな薔薇の花で一杯となり、それに群がる蝶のようにたくさんの人で歩きにくくなる。 人はその目に、その心に美しい薔薇の姿を焼き付けたくて

伝言板の恋

今の若い世代は伝言板って知ってるんだろうか? もう40年近くも前の学生時代、携帯電話さえ、個人で持ち歩くことの無い時代によく利用させてもらった。 駅の改札口辺りに置かれた黒板である。 罫線が引かれ、伝言を書いた時間、伝えたい内容を書く欄があった。 それを駅員さんが一定時間で消す、そんなどこの駅にでもあるサービスであった。 遅れて来る仲間に飲み屋の名前を残したり、男女間の伝達手段となったりと 当時の我々にとってはこの上なく重宝した連絡手段であった。 私は推理小説や恋愛小説を

忘れそうで忘れないもの

昨日の伝言板を忘れかけていたとおっしゃる方がいた。 人の記憶を不思議に思う。 多くのことは記憶の引き出しの中に整理されて仕舞われているようである。 なにかのきっかけでこの引き出しに誰かが手をかけてくれる。 意外なことを鮮明に憶えていたりする。 母ハルヱは職業婦人として兄貴の世話をしながら生きてきた。 私は家事のなかで母が料理が得意でなかったことを、一度も非難したことも無く、不満を感じたことも無かった。 大変な毎日を見ていたからそんな否定的な気持ちには自動的に蓋をしてしまって

ツナ缶、豚肉、スパム缶(ゴーヤのきもち)

さてこの三つ、何の順番でしょう? 私が立ち飲み屋をやっていた時によく来てくれた沖縄県出身の可愛らしい女性に教えてもらいました。 本場沖縄でゴーヤチャンプルに入れる肉の種類です。 ゴーヤチャンプルに使う肉は、値段の順番でツナ缶が一番安価で、豚肉、スパム缶と高価になり、家庭のその時の懐具合で変わるとのことでした。 さすがですね、缶詰文化が浸透している沖縄ですね。 ツナ缶は箱入りで贈答される重宝な品だそうです。 で、安いとのこと。 腑に落ちましたか? 面白い話ですよね。 ゴー

何もない日々のしあわせ

私のごく近い知り合いが言う。 真っすぐ生きてきたわけじゃないから、わかる、、と。 何かあってつかむ幸せ、それが本当の幸せなんだろう。 過去に何かあったから、今なにもない日々の幸せを大切に思い、 大切に出来るのだろう。 考えれば当たり前のことのようではあるが実際そんなことを意識して生きている人はいるのだろうか。 いてもたくさんじゃない。 流行り病で外で酒を飲むことが無くなった。 もう、この歳である。 浴びるようには飲みたくない。 美味しいもの、私の場合はふだん自宅では食べ

かわせみのやど

一昨晩、コメント欄でおりーぶさんに問われた、 宮島さんご自身を俳優さんに演じてもらうなら、誰がご希望ですか? 宮島さんの前でコーヒーを一緒に飲む女優さんは、誰がよろしいですか? と、問われ、寝ぼけた回らぬ頭で俳優も女優もあまり知らないので 私は戦国の武士、相手は町の飯屋の娘と答えた。 でも朝、まだボケた頭で思い出していた。 時代劇は好きだった私は二十歳前後だったと思う、平岩弓枝原作の小説をもとにしたNHKのテレビドラマ『御宿かわせみ』を熱心にみた。 主人公の庄司るいに憧

つゆあけの蝉

まだ早いが、蝉の鳴き声とともに梅雨は明ける。 実は私はこの蝉がこわい。 子どもの頃、普通に蝉取りをする普通の子どもだった。 このnoteのなかで夜鳴く蝉のことを誰かが書いてた、秋山真之介さんかも知れない。 目にしたそのワンフレーズで蝉がこわいのを思い出したのである。 夜鳴く蝉を思い出したのである。 この歳になりセミの抜け殻を手に取ることもなくなった。 しかし、目に入れば記憶は一足飛びに子どもの頃に戻る。 夏休み、陽射しの一番強い午後に豊川工業高校へ毎日捕虫網を持って通っ

マルセイバターサンドでまたおもう

大阪阿倍野の近鉄百貨店でも時々北海道のマルセイバターサンドが売られている。 一顧客に2パックまでしか売ってくれない。 マルセイいわくは、「多くのお客様に召し上がっていただきたい」からとのことである。 客思いの親切な会社とも思うが、こんな商売をやってみたいとも思うのである。 北海道には美味しい食べ物がたくさんある、 美味しいお菓子がたくさんある。 ゼネコン時代、設計事務所時代に北海道まで行く機会がよくあった。 ゼネコン時代では、一日の予定を終えて会社に戻ると上司から「これか