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楊梅(やまもも)、まだ時期は早い、梅雨時に赤い実をぶら下げる、ちょうどアジサイがきれいに花を咲かせる頃である。 楊梅ってのは目立たぬ樹だ。 街路樹ともなっていて、コレと示せば案外みんな知っている樹であるのだが。 それくらい目立たぬ樹であるから精一杯結ぶ赤いその実を見ても、可愛らしいさに気持ちを向ける人間は少ないのだろう。 山や畑で桑の実やらアケビなどを野ザルのように食い回ったが、楊梅は食べたことが無い。 街路樹のそれは汚く思える。 山の入口で見た楊梅にはコバエがた
父の長野県の生家に幼稚園の頃長い間滞在していたことがある。 祖母の看病が持ち回りで母にも回ってきたのである。 兄も小学校に上がる前だったと思う。 南信州の高くない山々に囲まれた父の実家の隣の家は大声をあげても聞こえないくらい離れていた。 そこまでは段のある畑が続いていた。 父の生家は今は建て替えられてしまっているが、木造の古くて大きな家屋だった。 玄関はセメントではない当時の農家ならではの本当の三和土(たたき)であった。 その広さは社宅暮らしの私の子ども心にも違和感を感じ
雨上がりの通天閣 彼は、これが大阪の涙ではないことを知っている、、
久しぶりに家内がレーズンバターを買って来た。 レーズンバターは家内の頭の中ではデザートに分類されるようである。 私にはもちろん酒のアテである。 30年ほど足を運んでいるJR高架下にある新梅田食堂街の立ち飲み『北京』のレーズンバターは美味かった。 早い時間に行くと親父が手作りのレーズンバターを、大きなボールでバターと干し葡萄をヘラでこねて作っていた。 カウンターに並ぶラム酒も入れていたに違いない。 いつもバーボンのロックのアテだった。 洋酒には甘い物があったりする。 チョコレ
外を歩いていると汗をかくほどの昨日の暑さであった。 暦は立夏、夏の始まりである。 我が家には、またこの季節がやって来た。 写真は我が家の愛猫、三毛ネコの『ブウニャン』、昨年の猫の衣替えである。 クシですいてもすいてもすいても抜ける冬の毛である。 我が家のこれからの季節の風物詩でもあるこの光景もあと何度見れるのか分からない。 父の他界とともにトラとブウニャンは愛知より大阪にやって来た。 十年目である。 御歳十六歳となる、人間の歳に換算すれば八十歳にもなる。 トラは一昨年末
このnote の中で、時々銭湯のことを書かれている方に出会う。 みなさん銭湯を愛され、思い出や思いをたくさん持っていらっしゃる。 入浴と考えてしまえば家庭生活のほんの一コマであって、なんてことはないような気がする。 しかし、自宅から出て行う家庭生活ってのは他に無い、子どもの頃、年に何度か連れて行ってもらった外食くらいしか思いつかない。 子どもの頃の自宅から向かう銭湯は夜に家を出ることの出来る特別な世界であった。 それは私にとっては大人になってもなお、心休まる、うきうきもする特
かれこれ二十年以上京都でお付き合いさせていただいている行政OBが理事長を務めるNPOの事業のお手伝いをしています。 と言っても、家族の介護や看病であまりに忙しくなり、加えて流行り病、今、私は全く何もしていないのですが、、 直近では、と言いながらもすでに三年前の今頃、嵐山の竹林整備が進んでいるから見に来いと言われ行ってきたのが現場でお会いした最後です。 私より10歳年上、50歳で現役を、いろんなことがあって辞めてしまいました。 現役時代にはいつも夜な夜な祇園のクラブでお会い
『歌う庭』というロシアのカップだそうである。 世界にはいろんなカップがある。 どれも個性的である。 美しく魅力的である。 一目して、手に取ってみれば相性は分かる。 だから、ただ美しければいいという訳にはいかないようである。 カップという性格から、美術品として見るか、実用品として考えるかもあるであろう。 しかし、カップとしてこの世に生まれて来たからには熱いコーヒーや紅茶をその広げた我が口に流し込んでもらいたいだろう。 カップに注がれたコーヒーや紅茶の色で雰囲気は
苦手な梅雨の時期、子供の頃いつも長い夏休みに思いを馳せて過ごしていた。 でもそれはやって来るとあまりに長い夏休みだった。 暑い夏を何をするわけでもなく無為に時間を費やしていた。 片思いの同級生のあの子に会えない長い休みは私には休みではなく、ただただ切ない時間であった。 そんなある日の昼下がり、悪友たちが遊びの誘いに来た。 長篠城に行こう、と言う。どう思いついたのか一番暑い午後の時間に自転車で長篠に向かった。 寒狭川沿いに遡り、登り坂に向かいペダルを漕いだ。 緑の中にいつも
若い頃には雨に濡れることなどなんとも思わなかった。 カッパも着ずに働く男たちが格好良いとさえ思っていた。 当時の私は人生の混迷期の真っただ中におり、中学・高校時代の友人には誰とも会わずに一人生きていく道を模索していた。 高校を卒業し、仕事をしていないのが嫌であった。食うためではなく自身の見栄のために仕事を探した。 見つけた魚市場の仲買は温かな一家で家内制手工業のような経営をしており、ひねくれた私を家族のように迎え入れてくれた。 働くならば肉体労働と決めていた私だったが魚市場で
明けぬ夜は無く、朝は必ず来る。 時にはあたたかな太陽が私の目覚めを誘ってくれる。 それでも心は夜のまま明ける朝を知らぬ時もある。 それでも地球は回り、時間は過ぎていく。 朝は教えてくれる、人生あっという間ということを。 朝は教えてくれる、やってみなけりゃらわからないと。 男は前に進むしかない。 今日も朝に背を押され前に進む。 明日も朝に背を押されて進むだろう。
『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』 有名な上杉鷹山の歌です。 真理を言っているように思いますが、努力が報われないことも必ずあります。 だから、私はこの歌が嫌いです。 そんな時には開き直りも肝要です。 コーヒーでも飲んで違うことを考えてください。 すべてが思う通りになるわけではない事を学んでください。 人の心の中なんて分かりっこないですよ。 不可抗力というものも必ずありますよ。 為しても成らぬことは必ずありますよ。 美味しいコー
生きていれば誰にでもいろんなことがある。 そして、必要な事も不要な事も案外記憶には残るものである。 それをハナから取捨選択出来れば問題は多くないのだろうとよく思う。 要らぬことまで記憶に残るから問題が起きる。 記憶力の使い方が大切なように思うが、そんなことをしたことも無ければ、よくよく考えてみたらおかしな日本語であったりする。 記憶を意識して残すなんて出来ないだろうから。 でも忘れることは訓練で可能となるかも知れない 記憶する力よりも忘れる力の方が大切なのかも知れない。