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銭湯でおもいだす

このnote の中で、時々銭湯のことを書かれている方に出会う。
みなさん銭湯を愛され、思い出や思いをたくさん持っていらっしゃる。
入浴と考えてしまえば家庭生活のほんの一コマであって、なんてことはないような気がする。
しかし、自宅から出て行う家庭生活ってのは他に無い、子どもの頃、年に何度か連れて行ってもらった外食くらいしか思いつかない。
子どもの頃の自宅から向かう銭湯は夜に家を出ることの出来る特別な世界であった。
それは私にとっては大人になってもなお、心休まる、うきうきもする特別な世界であった。

近頃とんと縁が無くなってしまった銭湯、学生時代の安アパートには風呂もシャワーもあるわけはなく、大学四年間は銭湯無しの生活は考えられなかった。
社会人になってからは常に寮や自宅の内風呂があり、縁が切れてもおかしくなかったのだが、銭湯には時々行く機会があった。

これからの暑い時期であった。
下っ端のゼネコンの営業マンに欠かせない用地調査は拷問のようであった。
炎天下、スーツを小脇に抱えてフィルムカメラを鞄に入れて歩いたものである。
用意してきたタオルも汗を絞れるほどになり、帰りに銭湯を探した。
まだ明るい銭湯に入り、汗を流し、静かな風呂でおじいさんが使う空の湯桶がタイルの床に置かれてカーンという音が高い天井に響く。
短い時間ではあったが、幸せな時間であった。

そして、フルーツ牛乳を飲みながら扇風機の前で身体を乾かした。
着替えは無く、濡れたシャツに手を通さねばならないのだがスッキリして、会社に戻るかそのまま接待に向かった。

学生時代は全てが自分の時間であった。
いつもは閉店ギリギリの混み合った終い湯に「おばちゃんゴメン」と番台に代金を置いてあわてて身体を洗い出るのが常であった。
合気道の稽古が無ければ一番風呂にも入れた。
一番風呂では、いるのはおじいさんばかり、しかもタイルの床がまだ乾いている。
その時の足の裏の感触は今でも覚えている。

一番風呂でタクシー運転手の鈴木さんと知り合った。
歳の離れた兄貴のような鈴木さんにはよく銭湯の帰りに一杯飲ませてもらった。
風呂桶を抱えたままである。
今の若い子等には理解出来ないだろうが当時のテレビドラマにはそんなシーンがあった。
風呂桶を抱えたまま連れて行ってもらったのは、私たち学生では、その支払いが理由ではなく敷居の高い雰囲気のある、おばあちゃんに近いおばちゃんがやってる小料理屋だ。
ビールは小ビンだった。
鈴木さんはプロのドライバー、私のように深酒は決してしなかった。
鈴木さんは私に大人の飲み方を教えてくれた。

全てが昭和の想い出である。
消えて無くなって欲しくない銭湯である。

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