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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年4月の記事一覧

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

日曜日のよる

ただいま4月4日、日曜日午後11時くらい。 いくつになっても日曜日のこれくらいの時間が苦手です。 日曜日の夕方、子どもの頃、早い時間の夕餉はいつも憂鬱でした。 その憂鬱を無理矢理忘れるために6時半から始まる『サザエさん』そして午後9時の『日曜洋画劇場』までを何かに憑かれたようにテレビに観入っていました。 もちろん宿題などしていません。 (このもちろんのあとが原因なのですが、、) 淀川長治が映画の最後の解説をして「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。」との終わりとともにエンディン

我が家のニャンコ先生からおそわったこと

この note で、猫に関する文章や写真は多い。 それくらい猫好きが世の中に多いということであろう。 我が家にも二匹の猫がいた。 茶トラ白の『トラ』は一昨年末に先に旅立ち、今いるのは三毛猫の『ブウニャン』一匹となった。 私と猫の関係は子どもの頃から互いに『空気のような存在』だった。 そこにいる、それだけである。 自然と目に入るから猫の体の動きはよく知っているつもりである。 猫の立居振る舞いには無理や無駄がなく、私がやっている合気道に通じるものがある。 そして、猫を縛れるもの

れもんのおもいで

ペンにはずいぶん前からこだわりがある。 持ちやすさと書きやすさ、それから持ち歩きやすさである。 サラリーマン時代、営業駆け出しの頃にある大手電機メーカの秘書課長に「私たちは初対面の人と会う時に見るポイントがあってね」と教えてもらい、いくつかのポイントの中で「なるほど、」と思ったのは靴のかかとであった。 革靴のかかとがすり減っているのはいけない、どうも貧乏くさく見えてしまう。 私の帰り姿に腰を折って頭を下げるのは靴のかかとを見るためだったのかも知れない。 私はどんな筆記具

みらいのかたち

知らない事が多すぎる。 サラリーマンをやめてから時々商業用の文章を書かせてもらっている。 ゼネコンや設計事務所の営業をするには世の中の動き、関係する不動産や産業に関する知識・情報ばかりでは本当の経営者と話は出来ない。 だから何にでも興味を持って調べる癖がついている。 対価のための文章であるこの商業文章は面白くない。 自分が企画・開発するわけではないから、今出そろった情報を上手に並べるだけである。 世にたくさんあるそんなキュレーションなる文章に私は面白さを感じない。 しかしな

大阪、通天閣は知っている

カエルのはなし

マンガのキャラクターとなるカエルは可愛い。 実際、私が子どもの頃の遊び場であった農業用水の護岸工事のされていない土手で見つけるカエルは可愛らしかった。 トノサマガエルやアマガエルである。 そんな私の子どもの頃、ガマガエルを目にすることはそれほど多くはなかった。 まあまあの田舎で育った私は春先に冬眠明けであろうヨタヨタするガマガエルに遭遇する機会はあったものの、奴らの元気な梅雨時から夏場にはなかなかお目にかかることは無かった。 デカい体のわりに動作は機敏だった。 私たちの背

みらいのかたち 女性のはたらく社会

リユースのトラックを扱う企業とのお付き合いをさせて頂いている。 これからカーボンニュートラルの世の中に向かい、化石燃料車両は無くなり、EV(Electric Vehicle、電気自動車)へと移行していく100年に一度の大変革に突入している大変な業界である。 この会社がだいぶ前から、トラック業界に携わる女性『トラガール』と建設業界で頑張る『けんせつ小町』を応援している。 女性の活用も日本における『働き方改革』のなかの大きな問題の一つとなっている。 少子高齢化社会で中高年のド

車窓からみた風景

父が他界してから月に二度、必ず愛知の母と兄に会いに行った。 いつも新大阪から豊橋まで乗り換え無しで連れて行ってくれるひかりかこだまに乗った。 毎回、後方車両の最後部座席に座り日経に目を通しコーヒーを飲む。 季節ごとの車窓の風景は私を癒してくれた。 春は緑、米原あたりで車窓の風景を眺めると背の低い山々には芽吹いている新緑の薄い緑とまだ残る山桜の白いピンクがもとからそこにある緑を際立たせている。 もう水の張られた田は田植えを待ちかねるかのようにキラキラ輝いている。 この黄金週間

雨の音でおもいだす

昨日の雨の土曜日、仕事に出かけるまで久しぶりにボーっとテレビをみていました。 昭和育ちのテレビっ子です。 まあまあNHKが好きですね。 『ドキュメント72時間』が好きなのですが昨日はそのスピンオフ企画でした。 流行り病での非日常下の人々の日常でした。 皆さんの頑張りがあるから、今程度の状態で保たれていることが理解出来ました。 平常時とは違う仕事、流行り病の患者さんへの対応に一年間当たってきた保健師の女性たちが「生ビールが飲みたい、」という生の声が頭に残ります。 そして、ポツ

万年筆と平常心

高校時代から万年筆を使っている。 その頃は自宅でしか使わなかった。 生意気と思われるのが嫌だったのと、紛失が怖かった。 貰い物も多いが気に入って買った万年筆も多い。 大切なものを失くしたら悲しくなるのは誰もが同じだ。 大学三年の時に大事な一本を紛失している。 魚市場を卒業する時にいただいた祝いの品だった。 万年筆は当時の入学祝いの主流の一つでもあった。 時代を感じる。 パイロットの名入りの万年筆は書きやすく東京でずっと使っていた。 練馬の下宿を出て途中定食屋に寄り授業に急

久しぶりにみた夢 ムエタイの夢

『ムエタイ』って分かりますか? タイ式ボクシングのことです。 日本発祥のキックボクシングと混同されますが、『ムエタイ』を改良して日本で興行として始められたのがキックボクシングで『ムエタイ』とは違います。 めったに見ることのない、憶えていない久しぶりの夢は、合気道ではなくこの『ムエタイ』でした。 私はこの『ムエタイ』が世界で最強の格闘技だと思っています。 もともとはアジア大陸の中のタイという国の民が陸続きで攻め入って来る異国民と素手で戦った歴史から生まれているそうです。 現

拝啓

春暖の侯、、、 春暖は俳句の季語でもある。 定義による春は三月から五月であるが、私の春暖は早い春の暖かな陽射しを浴びた雰囲気をそう言いたい。 しかしながら、昨日の通勤列車の中で、今日のような陽気も春暖というのかと思いながらJRで揺られていた。 もうすぐニ年になる通勤電車である。 三十年もの間、二日酔いでまだ動き出さない脳のまま、朝早く満員電車に無理矢理乗り込み会社まで通っていた。 そんな生活から卒業したつもりでいた。 しかし、もう二度と乗ることのないと思っていた通勤電車

危機管理のちから

昨年と同様の黄金週間を迎える準備がすでに始まったかのように、昨夜の大阪阿倍野筋の人通りは少なかった。 合気道の稽古の帰り、とぼとぼ歩き、今までに無い日常に浸っていると変な事を思い出す。 母ハルヱは風邪を引かない人であった。 父は冬になるとマスクをしていることが多かったように記憶する。 母は看護師という職業に年齢を若くして就いていた。 海軍病院に奉職したが、怪我をすることも無く感染症に罹患することも無く終戦時を乗り切り生き抜いた。 そして母は病気らしい病気を一つもすること無