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車窓からみた風景

父が他界してから月に二度、必ず愛知の母と兄に会いに行った。
いつも新大阪から豊橋まで乗り換え無しで連れて行ってくれるひかりかこだまに乗った。
毎回、後方車両の最後部座席に座り日経に目を通しコーヒーを飲む。

季節ごとの車窓の風景は私を癒してくれた。
春は緑、米原あたりで車窓の風景を眺めると背の低い山々には芽吹いている新緑の薄い緑とまだ残る山桜の白いピンクがもとからそこにある緑を際立たせている。
もう水の張られた田は田植えを待ちかねるかのようにキラキラ輝いている。
この黄金週間に帰省してくるかも知れない子どもたち、孫たちに淡い期待を寄せて待ち構える年老いた両親たちがこの村にはいるのだろうか。
ともに田植えで汗を流し、久しぶりに会う両親の老いを感じながら会話をする子どもたちはこの村に帰って来ることは出来るのであろうか。

長い連休の少しの部分はそんな時間であってもらいたいと思う。
孝行をしたい時には親はおらず、いくら金があっても時間は買えはしない。
誰もそんなことは教えてはくれない。
実は心の健康はこんなところにあるような気がする。
そして心身ともに健全でなければ真の経済活動は出来ないであろう。
人間として当たり前の日々を過ごすことの難しさを考え、車窓の風景を眺めた。

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