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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年3月の記事一覧

ビューティーサロン タイガー

最近引越したわが家の近所にこんな建物がある。 初めて見た時にはしばらく立ち止まり、じっと眺めていた。 右側には色あせた女性の絵、たぶん極彩色のペインティングがなされていたのではなかろうか。 ネーミングもさることながら、建物の妻壁の多くを使っての手書きの大きな女性の絵にはなんだか昭和の銭湯の富士山を彷彿させられる。 通り過ぎる人たちには馴染みの風景で、空気のような存在なんだろうが、私は何度通りかかっても気になりジッと見てしまう。 怖いもの見たさにも似ている。 そして

アナログなデジタル

台湾の母、黄絢絢さんにハガキを書くことにした。 以前は毎月一通ほどの手紙を書いていた。それがいつからかLINEで近況が送られてくるようになり、今は電話になっている。 しかし、93歳というご高齢にはさすがの絢絢さんも勝てないようで、電話は自身が生活する老人ホームの職員さんにかけてもっていると言う。 着信したスマートホンの受話も自分で出来ないと言う。 私はいつも受けれるわけではないのですれ違いとなり、心配をおかけする事となる。 そんなわけでまた手紙を書こうと思ったわけだが、な

ショートトリップ

人生思うようにいかない。 思うようにいかないのが人生なのであろう。 兄貴の生の支えの係の順番がいずれ回ってくるのだろうと漠然と子どもの頃から思っていた。 でも、まさか両親の介護まで始まるとは想像出来なかった。 それも三人まとめて、である。 二十年の間に何度大阪から郷里愛知まで行っただろうか。 自動車で西名阪を走り奈良、三重を抜けて伊勢湾岸道を走る。 東名高速に入ると帰ったな、と思う。 音羽蒲郡ICで降りたら必ず窓を少し開けることにしていた。 故郷の匂いがするのだ。 生まれ

なくなって欲しくない街の喫茶店

もうしばらく行っていない、いや、はやり病で行けなくなっていた豊橋の喫茶店がある。 高校を卒業してから時々時間を過ごした昭和の喫茶店だ。 豊橋は喫茶店が多い街だ。 モーニングで各店が競争している。 初めてこの店に入った時に二日酔いでモーニングを頼んだ。 高校時代のなごりで十代で入る喫茶店には後ろめたさがあった。 他の店のモーニング定番である食パンのトースト、ゆで卵、サラダではなく、バケットのトーストとマスカットが二つぶだった。 なんだか大人の仲間入りをしたような気がした

イソギンチャクを見たことがありますか

驚いた。 JR八尾駅の新しくなったロータリーでツクシを見つけた。 あろうとは思わなかった存在だったから驚いた。 今週が『寝たきりおやじ』こと、『ねずみ男』先輩と共に投句している松山市主催俳句投稿サイト『俳句ポスト365』の発表の週だった。 兼題は 磯巾着(イソギンチャク)であった。 自転車で行ける距離に海は私たちを待ちかまえていた、子供のころからイソギンチャクばかりでなく海の得体の知れない生き物たちとは顔なじみであった。 その得体の知れない奴等が意表を突いた場所から姿を現

かおりにおもふ

生まれる前からずっと香りに包まれて生きてきたような気がする。 春は新緑、私は森の中を歩き青葉の香りにここまで生きてこれた喜びを感じる。 夏は海、海辺の松原の間を散策し波の音を聞きながら汐の香りに日本人であることを感じる。 秋は豊穣、陽が燦々と降り注ぐ村に通じる畑の太った麦は谷を吹き抜ける秋風に揺られ黄金色の波のようであった。 陽をたっぷり吸い灼けた藁と穂の香りは私たちが農耕民族であったことを再認識させる。 冬は雪、静寂の雪の中静かな香りとともに雪の中に改めて自身の存在

早春の深夜におもいだす

一昨日 note 仲間である、ごがぺんさんの記事を拝見していて思い出した。 https://note.com/gogapen/n/ncc12e2a6ce86 ※皆さん、ぜひご一読を、食事中を外して、、、 ゼネコンにいた頃のこと、こんな季節だった。 兵庫県の岡山よりにある小さな設計事務所に通った。 独りでやってるわりにはたくさんの仕事をしている設計事務所だった。 京都市内の当時流行の老人保健施設の設計を始めていた。 通常は融資銀行や力を持つ関係者の協力で発注者にたどり着

緊急事態宣言解除をうけて

緊急事態宣言という言葉を考えていた。 緊急事態には間違いなかろうが、それほど緊迫感は無かったような、、 宣言は続けたまま規制だけ徐々に解除してもいいんじゃないかとも思った。 リバウンドを心配するのであるならば、何かしらの重石は残しておくべきだと思う。 それにしても皆、よく言うことをきく。 私がまだ飲み屋を続けていたら反政府組織を作り地下に潜ってゲリラ活動を行っていたかも知れない、というのは冗談であるが、それくらい飲食業の連中は大変なはずである。 黙っているのが不思議だと個人

夢は夜ひらく

変わった子どもでした。 藤圭子が好きでした。 クールファイブが好きでした。 前川清が藤圭子と結婚して驚きました。 『夢は夜ひらく』は当たり前の事を言っとるなぁと思っていました。 昨日マー坊 今日トミー 明日はジョージかケン坊か 寂しい女性なんだなぁ、と思っていました。 十五、十六、十七と 私の人生暗かった 過去はどんなに暗くても 夢は夜ひらく ツライ今など誰にでもあるのになあ、と、 小学生の私はそんなふうにこの歌を聴いていました。 世の中のことも、男と

そつぎょう

卒業してもいつまでも続く先輩、後輩の関係がある。 俳号「ねずみ男」は私の一年先輩、もう10年間も寝たきりである。 よく寝る男である。 そんな昔話があったような、、、 先輩の誘いで始めた俳句、二週間に一度の投句締め切り一時間前になっていつも慌てて俳句脳に切り替えたが、さっぱり上達しない。 昨日がそのお便りコーナーの日、私の文章も載せてもらってあった。 松山市主催の俳句ポスト365日、今回の兼題は『卒業』、 毎回私の心の記憶の引き出しを引いてくれるこの俳句投稿サイト、選者の夏井

こわいはなし

子どもの頃に人に話した怖い話である。 たぶん誰かから聞いた話だと思うのだが、記憶が定かでない。 あまり美しい話ではないからお食事前の方はご遠慮いただいたほうがいいかも知れない。 友人のアルピニストが経験した話である。 信州の山あいで育ち山のすべてを知る誰もが認める生まれながらの山男である彼が、ある日冬山で遭難した話である。 その日はいつも登ってすべてを知り尽くしていたその山で、あろうことに急な吹雪に襲われたそうである。 日は暮れつつあり前にも後ろにも進めない状態の中しばら

合気道の稽古への道すがら 大阪も非常事態宣言は解除され、通天閣は普段の日常の点灯色に変わった 足もとには桜がほころぶ 陽気に誘われ出てきた人たちで街はごった返す 平穏はまだ先のようである まだ何も変わってないと思う

サイネリア 私のしらぬ花のなまえ

まあまあの田舎で育ったので、世の男連中よりもたくさん植物の名前を知っているかもしれない。 しかし、花の名前は今一つだ。 今回も私が敬愛する夏井いつきが選者を務める、松山市主催の俳句投稿サイト『俳句ポスト365』に以前投稿した文章である。 兼題が『サイネリア』、初めて聞く花の名前であった。 この時もずいぶん悩んで句をつくったが、『並』であった。 俳句もなかなか難しい。 ◆今週のオススメ「小随筆」  お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見

東京からみた富士山

温かい空気の中、電車で移動した。 窓が開けられているが、今日はもう誰も手をかけようとしない。 でも不思議だが、この気温で暖房が入っている。 むかしと違うJRには我々の知らぬなか、厳しい掟があるのかも知れない。 三十年ほど前の大阪環状線は夏場、暑がりのこの私でも「おかしいんじゃないか」と思えるほど冷房が効いていた。 まだ、盛夏前の微妙な暑さの時には、先頭車両で運転手に暑いから温度を下げてくれ、とジェスチャーですると冷房を強めてくれた。 わがままな乗車客であるが、満員電車内の暑