天使と悪魔、アンチとファンに想いを馳せてみる
最近、さすが日本というコメントをよく見る。日本の技術、文化、伝統、先人たちが築いてきたものは素晴らしいと思っているし、褒められると自分のことのように嬉しい。
同時にまた、過去の物から発掘されたセクハラ、パワハラなどのハラスメントについては考えていかなければならないだろう。
最近、高齢者に対して風当たりが強い気がする。わたしが見ているのが偏っているのかもしれないが、実際にそういう人は多くいるように感じる。
そもそもそこまで他人に敵意をむけられるのかと感じる。どのような人でも一定の敬意は払うべきだと思っているし、そうあるべきだと育てられてきたものだから、そういう人もいるのかと断絶を感じている。
老害なんて言葉をよく聞くが、障害者はよくないからと障がい者に訂正されたのに、と思う日々である。
なんとかならないかなと思い、この記事を書いているところだ。
1つ考えたいことがある。あなたは天使と悪魔どちらになりたいかという質問についてだ。
この質問を友達にされた時、何を言っているのかと思ったが、考えてみるとなかなか良いトピックであったのだなと思った。
天使は良い存在、悪魔は悪い存在、これは多くの人に了承していただけるところであろう。
非常に分かりやすい二項対立だ。この構図は特に善悪二元論と呼ばれることはご存知であろう。
これはゾロアスター教の善悪二元論、ユダヤ教、キリスト教に伝わり、ヨーロッパで一大ブレイクした考え方だ。
例えば、白は良くて黒は悪いみたいな対立構造は有名であろう。
その最も有名なものが天使と悪魔ではなかろうか。
天使は神と人との通信を行い人を天に導き、悪魔は人を誘惑し地獄に堕とす。
しかし、悪魔は悪いことをしているのだろうか。悪魔は自身のやるべきことをするのみである。
悪魔だと殺された人々は悪だったのだろうか。そんなことを考えてしまう。
悪魔を悪魔たらしめるのは、観測者だ。観測者が天使を是とすれば、悪魔は不是でえ、その逆もありうる。
観測者はその時の流行を作るものだ。
聖職者であったり、親であったり、文筆家であったり、それはさまざまであるだろう。そして個人もまたそうである。
これ以上話していると宗教の知識の浅さが露呈するのでやめておこう。
ではファンとアンチについて考えてみたい。
アンチはなんとなく悪いやつという印象をわたしは持っている。別にアンチに元々そんな意味はないけれど、わたしは確かにその念を持っている。
アンチは嫌いかと言われたらそうでもないとわたしは答える。
ファンが多いと嬉しいしアンチが多いと萎縮する。しかしファンにしてもアンチにしてもグラデーションがある。
全ての人から好かれる普遍的な人はなかなか現れない。
むしろ意見の偏りがあるというのはある種危険だ。それは歴史から見ても明らかだ。
だから、むしろアンチを歓迎すべきだとわたしは感じる。アンチに限らず、無数に存在する意見は私たちに新たな視点をくれる。
そのような視点を持てば、もっと有意義な議論が行われるのになと残念に思う。
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