見出し画像

ケムリクサはなぜ現実世界を廃墟にして舞台としたのか

放送後追記
大外れだぜ!!

結論から言うと考察量の制御のため。

当たり前ですが個人の考えです。

考察の塊「ケムリクサ」

日々ツイッターで、ブログで、あるいは誰かの脳内で、ケムリクサは考察され続ける。
それはストーリーでありキャラであり思想についてである。萌えだ。

だが、膨大な考察にも限度(限界ではない)がなければ大変だ。
考察を無制限にするといつかオーバーフローに至ることをたつき監督は知っているからだ。

舞台

姉妹とわかばが旅する地は、荒廃し霧に沈んだ、日本とくに九州から四国、次回ごろ関西に至ると考察されている。
日々モチーフとなった地点が解明されてゆき、今日は四話の中での正確な移動ルートすら解析していた。

これら本当に考察班は凄いと思うのだが、実はこれは監督の制御下にあると僕は考える。
これは手のひらで転がされてるという、ネガティブな意味ではない。監督が視聴者を信頼し、そして挑戦として設けている問いかけなのだ。

現実と空想

現実の土地という要素で、我々と物語世界は接続させている。しかし、これが完全に空想の土地だったらどうだろう。

我々が知らないのではなく知りようのない世界のことでは、考察は困難を極める。そうなると、作品物語の見どころの一つである「遠くへ行くこと」の実感が損なわれてしまう。

「現実世界で言えば九州から四国程の距離。」
これは単なる情報・数字でしかない。

あるいは、詳細に作り込まれた世界を説明し、地図を出し、いくつもの昼といくつもの夜を越えたことを演出してもいい。
だが、これは監督の省略の技法(そして12話という尺)には不向きだ。指輪物語とかなら良いのだが。

考察に制限を設ける

考察し、検証し、訪れた地と距離を算出する。そう、積極的に「知る」こと。つまり萌えだ。

しかし、この考察には果てがある。明らかな正解が分かるように細工されており、論争は生じない。

これがどういう結果をもたらすかといえば、スムーズに次の考察・または次の話に目を向けられることだ。(意外とケムリクサのフリとオチ、謎掛けと答え合わせのサイクルは短い)

ある程度情報を確定しないと人は立ち止まってしまう。それが立ち止まってほしいときと場所ならばいいが、しなくていいところで止まってしまうと困るのだ。

「えっ、スタートの雲海に浮かぶ鳥居のある世界にはこれこれこういう暗喩やモチーフがあるのでは。もうちょっと考えてみようよ。ほらテングオメーンが射手座を表すこの位置にあるのなら……」
後日アニメージュで訊くと、なんとなく余ってたアセットを適当に置いていただけだと判明する。
キリがないだろこれじゃ

考察量の制御

まとめるとこうだ

・現実にある地点を分かり易すぎないが頑張れば確定できる程度のレベルで謎かけする。
・確定した地点や器物(瀬戸大橋やオブジェ、電車)を示し、何が足され何が引かれているかの基準を作る。
・考察が一つ、または有力説幾つかに定まり、考察要素というかたちでいわば「一粒の実」になる。
・完全に理解はできないが、とりあえず先に進んで次話を楽しめる。

我々は監督に信頼され、監督に制御されている。

【おわり】

資料費(書籍購入、映像鑑賞、旅費)に使います。