見出し画像

近代家族の変容

 家族というのは一般的には血縁関係があること、という認識があるが実際にはどういうことだろうか。G.P.マードックが著した『社会構造』では、どんな家族も性、生殖、経済、教育で成り立っていると著した。しかし近代における家族は、躾や家内労働に含まれていた社会性や公共性を急激に失い、夫婦間や親子間、兄弟間の親密な感情だけを強い絆とする私秘的空間へと変わってゆき、家族の普遍的な定義が危うくなっていった。

 はたして、なぜそうなってしまったのだろうか。その大きな理由として考えられているのは、近代になり19世紀以降の「国民国家」の成立と、「資本性」が浸透されたことがある。つまり、国民全員に単一の法を適用する仕組みが適用されたのである。全員が同じように「義務教育」を受け、税金を納め、軍に入るなどが適用された。そして、次第に賃金労働が一般化し、伝統的形態の農林漁業や中小自営業などの「家内労働」が衰退し、大勢の人々がサラリーマンになっていったのである。つまり、家族の自律性が強化され、サラリーマンの賃金労働で得たお金でそれらのサービスや商品を購買し、親族や共同体の助けは近代以前に比べ、借りなくなる状態になったのである。それらの原因から、現代の家族はかつて初期の核家族に備わっていた性、生殖、経済、教育の中で、「経済」や「教育」といった社会的・公共的機能を弱めた。その原因から、「性」と「生殖」を軸とした感情機能に強く傾きつつある。つまり、「現代の家族は情緒の絆の強さを過剰に強めることで、新しい病理現状を次々とみせはじめている」(1)のである。今回はこの病理現象について考察してゆく。

 家族間の過剰な情緒の絆の強さからくる歪みを描写した『空中庭園』という映画がある。この作品は家族らしさの規範に縛られたあまりに狂ってしまった人物の話である。シングルマザーの母から育てられた主人公は、貧しく虐められ、母から優しくされた経験もなかった。その経験から自分は理想的な家族を築くと努力した。何も隠し事をしないという家族のルールを作ったが、夫の浮気や、娘は虐められていることを隠している。そして、ルールを作った本人も隠し事をしている。「語り合える家族」や「わかり合える家族」を追求するあまり、その窮屈さやわかり合えなさに狂ってゆくのである。元々、人間というものは、一人一人違った性格や考え方をしている。そのため、規範に当てはめ過ぎるのはその人を捻じ曲げる根源となり得るのである。

また、近代以前の社会では、子供は「小さな大人」として見なされており、子供だからと甘やかされることはなく、厳しい躾の元育つこととなった。しかし、近代社会では前述した通り、家庭での「経済」や「教育」といった社会的・公共的機能が弱まったため、情緒の絆の強さに重きを置かれることになった。そのため、子供は「小さな大人」とはみなされることはなくなり、愛情を注ぎ、危険から守り育て、大人になるまたっぷりで手をかけて丁寧に育てることがポピュラーとなった。そのことから近代の子供は過保護で甘やかされることが多くなり、他者依存的で傷付きやすく、繊細で受け身に育つこととなった。その子育ての仕方こそが、子供の自立心を低め、親子間の共依存、家を出ない子供が増える、中年引きこもりなどを増やす原因などになるのである。

 「家族らしさ」などに縛られている人々は周囲にもとても多い。その上手くいかなさや、実際の生活とのズレが過度な過干渉や暴力となり、家庭を脅かす種となるのである。私自身も機能不全家庭で育った。生まれた時から離婚して父親はおらず、主に母と祖母に育てられた。母はほとんど仕事で家におらず、諸々あって統合失調症にかかった。祖母は日頃から過干渉で私の物を勝手に捨てたりしていた。叔父もニートの所謂「子供部屋おじさん」で暴力的であった。祖母は『空中庭園』のように良い家庭を築きたかったそうで、それを目指すが故に過干渉になったり暴力的になったのだろう。それらを解消するには、家族だから思い通りに行かせようという支配欲や、「家族だから分かり合えるはずだ」という強い思い込みから解き放たれることが必要である。そのためには、まず「家族」という縛りから解き、異質な他者として相手を見て接してゆく大切である。

 現在、同性愛者のパートナーシップが認められるなど、家族の形や恋愛の形が広がっている。それは従来の規範に縛られ過ぎている人々にとっては許せなかったり憎む対象になってしまう場合もあるだろう。しかし、そういった多様な人々の姿を見て、マイノリティーを抱えている以外の人々も、一人一人違った性格で違う考え方を持っているのだと理解することを知って欲しい。そうして、柔軟な考えで生活してゆけることが理想であるのではないか。多くの人が社会や世間の規範とするコミュニケーションに縛られずにそれぞれが心地良く生きられる関係性を築けることを願う。

参考文献
(1)橋本梁司監修、小幡正敏著『社会学のまなざし』武蔵野美術大学出版社(2004)

G.P.マードック『社会構造』(1978年)
池田理知子『現代コミュニケーション学』有斐閣コンパクト(2006年)
桜井陽子、桜井厚『幻想する家族』(1987年)

この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,308件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?