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餃子はあなたを包んでなんぼ
甘えたらダメ、許さない!な社会から
甘えていい、無理するな!な社会へ。
今は後者に傾きつつある。
コロナ禍も重なりメンタル重視の社会に。
さて、では本当にこの世の中を続けていいのか?その場しのぎな社会ではないのか?
ただそんなことは今の段階では誰にもわからない。
もちろん私にもわかるわけがない。
なので餃子を例にとって考えてみる。
(なぜ)
書き始める前に断っておきたいことがある。
餃子のことを今から偉そうに書くのだが、「餃子」という漢字を私は書くことができない。これは私の甘えなのだが一旦関係ないので話を続ける。
餃子はすごく美味しい。だが、作り方は至って簡単。
餡を皮で包んで焼く。 終わりである。
ただ皮の包み方が大事なのはご存知の通り。
皮をしっかり折りながらくっつけないとどうなるか。
ヘナヘナの焼き上がりだ。
皮をくっつける時水をしっかり付けないとどうなるか。
皮が剥がれヘナヘナの焼き上がりだ。
皮に餡を入れて包み込む作業が盛り上がるからという理由で友達5人で皮をくっつける作業をするとどうなるか。
必ず形の悪いヘナヘナの焼き上がり餃子群が一定数出来上がる。
以上の結果から餃子を作る際、甘えがあってはならない。
ただ見ていただいた通り「皮をくっつける時」のみだ。
社会でもそういうことなんだ。
社会でもそういうことなんだ。
皮をくっつける時だけでいいんだ。
餡なんて例えチョコバナナに変えたって「おいしー」とかいう人間は一定数いるのだから。
皮をくっつける時だけでいいんだ。
すべてに頑張らなくていいんだ。
美味しい餃子であってもすべてを頑張っているわけではないんだ。
誰かにバカにされたっていいんだ。
そんな人もすべてを頑張れているわけではないんだ。
わかりやすい例を出して検証してみよう。
私は冒頭で「餃子」を漢字では書けないと言った。
読んでる皆さまも「バカだなー」とか「へえー」とか様々な感情でスルーし、見て見ぬふりをしたはずだ。
さて、果たして見ていただいた何人の方が「餃子」を漢字で書けるだろうか。
書ける方はマジですいません。
ただ私と同じく「餃子」が書けない国民は大勢いるはずだ。私は冒頭勝手に「書けないことは甘えだ」と自らを罵ったが本当はそんな必要はない。
だって大半の方が書けないんだもん。
だから背負い込む必要はない。あなただけが劣っているんじゃないんだ。そう人は皆、できないことを出来ることで補いずつ生きてるんだから。
そうやって要領良くできないから悩むんだって?
そんなことは私だってわかっている。
だから再三申しているではないか。
「つつみ込む作業が大事」
周りにいる皮たちがしっかり包み込んであげられればいいのだと。
おあとがよろしいようで。(全くよろしくない)
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