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回教徒が豚肉を食べないのに生活上の根拠はない。神とムハンマドが食べるなと言ったからだ。

前回では、回教徒はクルアーンコーラン(神の言葉)とハディース(ムハンマドモハメッドの言葉)を解釈して、現実世界の習慣規定、すなちシャリーアイスラム法を作っていることを示した。

問答無用でひたすら暗唱したクルアーンを解釈してシャリーアに当てはめる、この回教徒の思考法を知る必要がある。例として分かり易い豚肉食の禁忌きんきで説明しよう。

クルアーンで豚肉について書かれているのは以下の二つだけ。

豚肉は明らかに汚れたものである。(クルアーン 2:173)
豚肉、血液、豚肉から作られた肉、(その他の動物・・・)、はあなたがたにとって禁忌である。(クルアーン 5:3)

ハディース、すなわちムハンマドモハメッド言葉には色々ある。
豚肉を食べるのは、明らかに罪である。
豚肉は不浄なものである。
豚肉を食べた人は、イスラム教から離れることになる。
豚肉を食べた人は、病気になる可能性が高くなる。
豚肉を食べた人は、神の怒りに触れる可能性がある。
豚肉を食べた人は、イスラム教徒としての地位が低下する可能性がある。

以上には理由について何の説明も無い。何で「〜可能性がある」なのか素朴な疑問は残るが、これらを回教徒は絶対受け入れねばならない。何故ならクルアーンとハディースは神聖かつ不可避で不可変の言葉だからだ。

従って、例え無菌の卵子と精子を使い、試験管の中で人口受精させ子豚を作り、無菌の環境で無菌の餌を与えて、無菌状態の豚を育てたとしても、食べられるのではなどとは絶対に考えない。神の言葉を丸暗記しているので考えられない。

無菌の豚でも、豚は汚れたもので、不浄で、食べると病気になるのだ。豚ソーセージを食べまくるドイツ人や、豚の中華料理を食べまくる13億人の中国人も、至って健康なのに、その事実は完全に無視である。そもそも回教徒にとって、絶対のクルアーンとハディースを何かの事実と比較して、検証するなど全くの禁忌なのである。

これのどこが危険なのだろうか。勿論、豚肉食云々は何の弊害もない、個人の嗜好の話だ。しかし、「クルアーンコーランか、税か、剣か」はどうだろう。この言葉はよく知られているが、以下の回教の世界観から来ている。

回教では、世界はイスラム法が有る「イスラムの家」(回教の国)と、その法が無い「戦争の家」(異教徒の国)の二つから成り立っている。後者の世界を前者の世界にする必要があり、その事をジハード(努力する)と言う。その過程で、改宗して回教徒になるか、税金を払って免除してもらうか、でないと戦争になりますよ、と言うことだ。

回教徒に成った日本人には、回教は寛容な宗教でクルアーンでは異教を容認している、などと言う人がいる。しかし、「クルアーンコーランか、税か、剣か」は、この三つ以外は認めないので、異教である事の自由は認めないと言う話だ。しかも、三番目は武力の行使も辞さないと言っている。なんと傲慢な態度だろう。しかし、これも民主主義国家にとって真に危険と言う訳ではない。

では、一体回教のどこが民主主義国家にとって危険なのか。これは次回とする。

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