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災害は語り継ぐ事はできない。経験に訴える災害の語部は長期的には役に立たない。

戦争の人為的災害、地震や台風などの自然災害。これらの被害者や経験者の語りは、世代が変われば消える。直接経験者の語部かたりべが亡くなったら、そこで終わりである。20年前の平成16(2004)年、新潟県中越地震ついて、能登では何人の人が、これを覚えていただろうか。

非経験者の語部かたりべがいるが、単なるお話であり、尾鰭が付く事が怖い。事実に基づく確率的、合理的思考とそれに基づく行動のみが、戦争や自然災害の回避を可能にする。

確率を理解しない人が多い。最も身近なのは天気予報の降水確率だ。降水確率を理解しない人は、20%で雨が降ったと言って怒る。5%でも雨は降る。降水確率は人にとって雨が降る降らないを示してはいない。この数値は、どういう行動を取るかの指標に過ぎない。個人個人で異なる。

高価な服を着たり、美容室で髪を結ったりしたら、20%でも傘を持つだろう。100%でも持たない人もいる。家のガレージから車で通勤して、会社のあるビルの地下駐車場に止めるからだ。地下通路で地下の飲食店街や店に行くので、雨に降られる事はない。普通は30〜40%で傘を用意するだろう。

人命に関わる事はより大きな値または小さな値を考えて決められる。分り易い例が昇降機エレベータ鉄製綱ロープである。昇降機には「500Kgまで積載可能」とか書いてある。実際は綱はこの三倍の1500Kgでも切れない事が求められている。1500Kgで切れないなら500Kgは、まず切れないので乗ると言う行動ができると言う訳だ。

ある決められた年月に地震が起こる確率、ある地域に地震が起きた時に津波が来る確率などがある。これらは、どのような行動をするか決めておけと言うものだ。しかも実際に実施しなければならない。何の手立ても施さずに、災害が起きて財産、生命を失ってから嘆くのは、全くの泥縄である。

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