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正欲。

引きこもりは長編小説にのめり込むに限ります。
しかし、どっぷりハマるには、いささか険し過ぎる世界だったかも。
そしてその世界は、この世界と一々一致するから、堪らない。

「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。」

話題作なので、沢山の人がインスタ、Twitterで読了投稿をしておられるのをお見受けする。
ひとつひとつの感想を読む。

しかし、この悲劇の主人公たちと同じ様な境遇の人たちの感想は、今のところ見当たらない。
そもそも、そんな人達はこの小説を読んでも、SNSで感想を述べたりしないのだろうか。分からない。個人的には、そんな人達がどんな風に意見されるのか、気になるのだけど。

「多様性」って言葉の意味を良く分かってませんでした、っていう感想がとても多かった。

自分の想像力の無さ、視野の狭さを痛感しました、っていうコメントも多かった。

読んだら最後、読む前の自分には戻れない、みたいな意見も。

私も同意見だ。
こういう気付きや視点を得られただけでも、この読書には価値があったと思う。

一種の娯楽として小説を捉えるなら、思考はここでお仕舞い、唯一無二の読書体験でした。


でもここで終われなかった人も、きっと多かったと思う。

これから自分はどうしよう?何が出来るだろう?
この物語の主人公の様な人々が実際に存在するのなら、彼/彼女たちが少しでも生きやすい世の中にすることは、可能だろうか?

そういう風に突き動かされた人も、いたと思う。

「多様性の時代」を創っていこうとする人々をこの小説の中では、あくまでニヒルな視点で扱っていたけど、こうやって自分達の限界を知って、自分達の現状に疑問を呈して、弁証法的にうねうねと進んで行くしかないと思った。そしてそれで良いと思った。

そんなすぐに時代も社会も現状も変えられないよ、多分。

うねうねうねうね、ああでもないこうでもないと、考えて感じることが大事なんだと思う。

八重子は偉かったと思う。
あんなに自分を全否定されたのに怯まなかったし、全否定されたことを受け入れたし、全否定してきた相手を突き放さなかった。

個人的にこの悲劇の出口はここだったんじゃないかと思う。それは時に当事者たちの心身をずたずたに引き裂くけれど。
この悲劇の原因は“孤独”だったと思うから。


あともう一つ気になったのは、

この特殊なフェチの持ち主達は、その欲求が満たされたら、その後どうするのだろう?
別にどういう意味も無く、シンプルに気になる。なんとなくその先に、また未知の世界が広がっている気がするから。


ま、その時は、またその時に考えればいいか。

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