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東アジアの偶像と”アイドル”文化

1章 ヒトガタの偶像崇拝

〈人柱、ムラ社会、イケニエ、少女・子供の放つ魔力、ケガレ信仰〉

 これらは現代の日本社会で消滅したと言えるだろうか。身近な存在に、形を変えて今なお存在し続けているように思う。
そもそもグループ・集団とは、特定の共通項を持ち合わせたもの同士が、自発的ないし他力的に集められ、なんらかの活動を起こした結果定義されるはずだ。
 例えば、小学校や中学校の義務教育システムないし、会社に所属することなどがそうだ。均一性が求められたり、敢えて何らかの力が加えられ、類似する者が集められたならば、その”集団”は正常に保たれるだろうか。異常が認められると判断されるだろうか。
 近代化に伴い、富国強兵の命のもと、学校教育が推し進められ、「管理しやすい」「均一な臣民(国民)」が大量生産された。国家の指示に従う、意思のないヒトガタだ。
 しかし、戦後もとい2000年代に入ってくると、個性の時代がやってくる。核化した家庭もちらほらとみられる。均一な人間を量産するシステムで生み出された、ヒトガタたちにとっては、個性も意思も意味が分からないのだ。社会では自発性が求められる。自分の意見が必要になる。しかし、その訓練が施されていない者たちは、搾取される側になるしかない。むしろそれが心地いいのだ。
 従順な、意思のない、それでいて見た目が美しいもの。とりわけ女子児童は、社会のお金を生み出すのに格好の餌食となった。

2章 なぜ日本(東アジア)でアイドルが盛んか

 アイドルというのは、日本ないし、韓国などの東アジアにて盛んである。アメリカなどの西洋には存在しないのだ。アイドルのようなグループがあったとしても、それは日本ないし韓国のそれとは、形質が異なるだろう。
 西洋諸国では、アイドルのような歌やダンスのパフォーマンスをする集団を、アイドルではなくアーティストと呼称するように思う。
 日本は幕末に開国し、近代社会へ突入して80年前に敗戦した。これがなにを意味するか、アイドル的な視点からいうと、西洋的価値観、とりわけ西洋式ルッキズムの導入、流入だ。
 そして、日本古来の民俗的価値観と西洋的ルッキズム文化が融合し、現代のアイドルが誕生した。大変奇妙な、無知な子どもを大人が祀り上げ、容姿を称える「日本のアイドル」が生まれたのだ。

3章 女子と毒親

 令和のアイドル構造には、ある特徴があるように思う。女性のアイドルを、女性のファン:女オタが推しているのだ。
それはなぜか。ずばり、共感性だ。性別や年齢という表面的なものに共感しているように見せかけて、実は、社会的権威のある者に搾取されて品定めされているという構造に共感しているのだ。

 彼女たちは、「若さ」と「無知な可愛さ」だけが自分を計る絶対的な価値基準であることを無意識のうちに理解している。抵抗すると自分の存在が脅かされるということも。
 これは、毒親と娘の構造とも似ている。抜け出すのは難しい。そもそも現在の自分に疑問を提起できないのが普通だからだ。

つづきはまた次の記事で。
次の見出しは

4章 コロナをハレと捉えるアイドル、ケと捉えるアイドル


おまけ 東の崇拝アイドル、西のイケニエアイドル

です。



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