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雨女 『雨を、読む。』

今年も梅雨がやってきた。
皆さん、雨は好きですか?
憂鬱な気分にもなりますね。

こう言ってはなんだが、

私は昔から、雨に好かれている。

なんだか素敵な感じに書いてみたが
要は
めちゃくちゃ雨女
なのである。

何事も 物は言いよう だ。

入学式、卒業式、遠足、修学旅行、卒業旅行・・・
思い出すイベントの記憶が悉く 雨。

旅行は大体 雨 降ります。
どの季節でも。
どの地域でも。

とはいえ
うちの母も雨女だし

“雨” で検索して
みなさんのnoteを読んでみると
案外 雨女・雨男の方が多いようだし

今回の本『雨を、読む。』の著者・佐々木まなびさんも
雨女だそうで

なんだ みなさん 仲間じゃん。


時に
ネガティブに捉えられやすい雨男女

そもそも
雨女
って、江戸時代の妖怪大先生・鳥山石燕(1712~1788年)が
『今昔百鬼拾遺』(1781年刊行)で最初に登場させた”妖怪”らしい。
(この雨女は吉原遊郭の風刺らしいので厳密には妖怪とは少し違うけど。)

長野県では、「雨おんば」なる妖怪もいて、
泣いている子供をさらうとして恐れられてきたそうだ。

現在の、「その行動が雨を呼ぶかのように思える女性もこう呼ぶ。」
というwikiさんの解説のような悲しすぎる意味は当初なかったようだが、
そもそもは
妖怪
なのだ。

妖怪をどう捉えるかは好みによると思うので
なんとも言えないが、
個人的には
『百鬼夜行絵巻』に出てくるような妖怪なら
ユーモラスで、可愛げがあって、
それはそれで少し嬉しい。

佐々木さんも本書の「雨女」の項で

(前略)旱魃の時に「雨を呼び、人を助ける妖怪」という神聖な「雨神」の一種ともいわれている。

佐々木まなび 『雨を、読む。』 75頁 芸術新聞社

とポジティブに捉えている。

そもそも四季のあるこの日本で
常に雨に当たらないという方が珍しいのだ。

そんなのは
ロケでは決して雨が降らないらしいアンミカさん
くらいのものだと思う。

その証拠に、
本書には膨大な数の雨に関する言葉が掲載されている。

梅雨の雨だけでも

迎え梅雨
送り梅雨
返り梅雨
空梅雨
梅雨雷
暴れ梅雨
梅雨豪雨

などと、
ゲシュタルト崩壊を起こしそうなほど雨の文字が並んでいる。

これだけ膨大な言葉があるということは、
それだけ多くの雨に我らが先祖達は縁があったということだろう。

・・・めっちゃ降られてるね。雨に。

そう思うと
日本人の大半は、雨女・雨男なのかもしれない。

私も含め、みなさんだけじゃないですよ。

安心してください、降られてますよ。


とはいえ、憂鬱な雨。
なんとかならんか・・・。
という時に、本書を是非。

本書に掲載された「雨」に関する四季ごとの表現が 美しい

こんな言葉たちがふっと口をついて出たら
素敵だな。
風流だな。
粋だなぁ。

そして
著者によるエッセイ、これがまた楽しい。

引用される絵画や写真も素敵だし
なにより至る所にある挿絵が、
雨というものを楽しいと思わせてくれている。

雨も悪くないな
と思わせてくれる。

植物に落ちた雫っていいよね。

こう思うと雨の音って良いもんだ。

家に引きこもって雨音を聞いているだけで
白飯3杯はいける。
最近は年を重ねたけど、それでも多分2杯くらいはいける。

そういえば、
映画『おおかみこどもの雨と雪』の降雨シーンは大好きだし
スマホには雨音がエンドレスに流れるアプリを入れているし
雨が降ってくると用もないのに無駄に出かけてみたりする。

周囲の人はいい迷惑でしょうが
自発的雨女 だったのだ、私。

ほら、また出かけなければならない時間だけ、大雨だ。

でもさ、悪くないんじゃない? 雨も


【参考】
佐々木まなび 芸術新聞社
『雨を、読む。』

鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』

時空旅人ベストシリーズ 三栄書房
『知られざるもうひとつの世に生きる 妖怪と幽霊』 

https://shop.san-ei-corp.co.jp/magazine/detail.php?pid=6680


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