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【第2回マヤ歴史】紀元前にして既にエコ?!雨水を活用していたマヤ文明

(トップ画像以下より頂きましたhttps://unsplash.com/photos/R3ofE-8DyLk)


皆さんこんにちは!インターン生のゆりです💐


さて、前回はマヤ文明とアステカ文明、インカ文明の場所と時代の違いを学習し、マヤ文明だけが2000年もの桁違いの長い歴史を持つ文明だということがわかりましたね!


今回は、では2000年も続いたマヤ文明とは一体どんな文明なのか?

どんな特徴があったか?などをこれから各回に分けて紹介していきたいと思います。


「古代文明」と聞けば皆さん”大河流域”に栄えたというイメージが強いのではないでしょうか?

例えば

メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス川流域、

インダス文明はインダス川、中国文明は黄河・長江流域、

エジプト文明はナイル川など。。

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(写真提供:https://unsplash.com/photos/HtUBBdNDxpQ)

しかしマヤ文明は河口から遠く離れた場所にも都市国家が多く存在していました。

・・マヤ文明では水が不必要だったのでしょうか?


実は、マヤ人は水が不必要だった訳でなく、雨水を工夫して活用していたのです!


低地であった、マヤの南部にあった”ティカル”では、敢えて傾斜を作ることによって、下の方に水が流れて貯まるようにしていたといわれています。

そして高い位置に貯めた水は飲み水、そこからあふれて低い位置に貯まった水は再び農業用水として利用されたそうです!

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(写真:https://pixabay.com/photos/lake-forest-waldsee-expand-nature-5353943/#content)※写真はイメージです

つまり”再使用”が、古代マヤ文明では既に行われていたのです。

北部の低地では地表には雨水が貯まらない石灰岩地形であったため、陥没穴に地下水が溜まった天然井戸の”セノーテ”、地下貯水池の”チュルトゥン”などの人工の仕掛けをつくり、古代マヤ人は工夫して雨水を利用していたのです。

古代マヤ人には、雨水を上手く活用する生活の知恵があったのですね・・!


マヤの多くの有名な遺跡は熱帯雨林のジャングルに存在していますが、チチェンイツァ遺跡などがあるマヤ低地北部は熱帯雨林のジャングルではなく、河がほとんど見当たらない低木林に囲まれた環境にありました。針葉樹林が広がり、涼しく雨も降るため非常に快適な気候でした。


つまり、マヤ文明が存在した地域が非常に広範囲に渡っているのは、こうした知恵に拠って河口付近でなくても生活することを可能にしていたからなんですね!

そして多様な自然環境こそが何千年もの長い歴史を持ち広範囲で栄えたマヤ文明を生み出ていたということがお分かり頂けたでしょうか?


次回は マヤ人が使用していた ”マヤ文字” について紹介していきます!


ゆり

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