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無関心と尊重の違いってなんだ

ありのままの自分であるほど、孤独やつながりの欠如、絶望、虚無感を味わうだと潜在的に考えていて、怖いと感じていた。そういうのを、実存的不安というらしい(諸富俊彦『トランスパーソナル心理学』)

先日、サイキッカーのゆきさんとのセッションを受けたときに、ありのままでいるほど繋がりがなくなっていくんだなと自覚して、潜在意識の書き換えをしてもらっている。

ありのままでいながら、でも穏やか。繋がりの欠如にアワアワすることのない。そういうパラダイムに入るんだなと思った。

その後。いまの自分は、感覚で言うと、ものすごくひとりだなと思う。個の粒、輪郭を維持したい。他者との交わりは時々でいい。これまで、こういう感覚を『孤独』と呼んでいたのかもしれない。いまはなんとなく違う。他者に何かを求める、という感覚があまりない。

それって、ものすごく寂しい人間なんじゃないかとか、冷たいんじゃないかとか、そういう気持ちも湧いてくるのだけれど。そうじゃなかったのかもしれない。いまはそう思う。

自分をリスペクトして、ペースやスペースを大事にして、自分の感覚を大事にして。だから、他者に対して、どうなって欲しいとも、どうあって欲しいともならない。最近あまり寝れてないんだよね、という連絡に対して、へーそうなんだ、とだけ感じている。正直、何を伝えたらいいのか分からない。正確には、何を伝えるのが正しいのか分からない、というのが自分。

後からもう少し味わってみて、湧いてきたこと。

人の価値観や行動は変えられないこと。〇〇した方がいいよ、と伝えたところで、相手はきっと私の意見で変えたりしないこと。

とすれば何を伝えられるのかって、I love you. (そんなあなたも私は愛しているよ)ということなんじゃないだろうか。

Feb 16, 2021. 12:40

無関心と、尊重の境目は、私にとっては、まだ曖昧だと思う。

周辺の人間関係が変わったら違うのかもしれないが。でもやっぱり、私が見る未来に特定の人物はいつも登場しない。自分ひとりと、世界というか、大いなるものを見ている気がする。

ひとりでいることは、グレースケールな世界になっていくんだと思っていたけれど、それは違うなといまでは感じる。物足りなさ、寂しさ、そういうのはない。もしくは分からない。

色んな生き物や、事象を愛している。でも、何かを返してもらいたいという気持ちは、すごく減った。そこに寂しさが、あるのかもしれない。欲しいと思わなくなったことに。我慢、はしていない。諦め、てはいるのかもしれない。

これ以上、思考で理解するのは限界だろう。いま手に入れたレンズ、物語を大切に受け止めて、眺めることをするのが良いだろう。

Feb 16, 2021. 11:33

今回は寝かせず、いま公開したい気持ちだったのでしています。

そして、このnoteを受け取ってくださった方に、
どんな感覚や印象が芽生えたのか、聴いてみたいです。

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