「違う」はデフォルトと覚えておこう

これまでの人生で誰かに嫌われることはほとんどなかった。
あえて空気を読まず、群れないことで、一定の距離を置いて
自分がターゲットにされることをうまく避けることができた。

ただ、世の中にはとにかく私のことが気に入らない人もいる。
私が何をしようと、どういようととにかく気に入らない。
頑張らない私もダメ、頑張ってもダメ。

オーストラリアに来て半年弱になる。
私はチューターの一人に嫌われている。
私という人間よりも、アジア人である私が気に入らないようだ。
オーストラリアを留学先に選んだ理由の一つに
移民の多さ、いろんな国籍の人がいる多様な社会がある。
だから、とても悲しくて、腹立たしくて、これが正しくないということを認めるのにとても時間がかかった。

学期はじめに彼女は
「スピーチパソロジスト(ST)とは、ことば・コミュニケーションを扱う仕事である。だからこそ、自分たちのコミュニケーションの取り方、自分のやり方を当たり前とせず、互いを尊重することが重要だ。」と言った。

本当にその通りだよな、と私は思った。
だから、あの言葉を発した彼女がまさか人種やアクセントなんかで
人をジャッジするなんて思わなくて、
そんな人がこの世に、なんならこの大学に存在することを認めたくなくて
とても時間がかかってしまった。

自分が世界をどう見たいか。どんな世界を見ていたいかではなくて
その言動に対して自分がどう感じるかをもっと大事にしようと思った。
私が不愉快だと感じたら、私がダメだと感じたら
他の人がどう感じていようとダメなんだ。それは差別なんだ。
きっと深く考えすぎだという人もいると思う。
違う。
私がこれは差別だと感じた時点で差別なんだ。

私は自分の身を自分で守るしかない。
同時に、同じような思いをする人がいなくて済むように声を上げなくてはならない。非常に面倒だし、あえてこんな不愉快な気分に自らなるようなことはしたくない。だけど、私は黙っていられるほど弱くはない。

日本に住んでいたときに考えなくてよかったこと、心配しなくてよかったことがとても多くて、海外で生きるのって疲れるなとつくづく思う。
みんながみんな悪いわけではない。
彼女だって、きっと悪気があったわけではないと信じたい。(多分違う)

こういう悲しい出来事は書いて昇華するとともに
自分も、この文章を読んだ人も誰もこんな悲しいことをしない、させない
そんなきっかけになればいいと思っている。

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