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歴史学の進化発展を踏まえながら歴史総合をどう考え教えるか~「世界史の考え方:シリーズ 歴史総合を学ぶ①」


2022年3月刊

これは、2022年4月から日本の高校教育に「歴史総合」という科目が加わり、日本史・世界史という区分けをせずに18世紀以降の近現代史を総合的に学ぶ~という流れを受けて企画された著作。編者の成田龍一氏は近現代日本史を専門とするこの国を代表する歴史学者の一人で、現在は日本女子大学名葉教授。小川幸司氏は長年世界史教育に携わってきた教諭で「岩波講座:世界歴史」の編集委員でもある。現在は長野県蘇南高校校長。この二人に計5人の各分野歴史研究者が加わり、対談・鼎談形式でこれまでの著名な歴史学テキストを読み解き、今後の「歴史総合」教育の展望を語る。これはレベルの高い重厚な論考の多い岩波新書の中でも、屈指の密度を持った非常に有意義な著作だと私は思う。現代までの歴史研究の変遷も大いに議論される対話は、学校教育に関わりのない人にも学ぶところが多いだろう(私も教職者でも研究者でもない一般人である)。歴史を学ぶことは「過去を知ることで、これからどう生きるかを考え未来を見通すこと」であり、またこの中で小川氏が言うように「他者を通して自分を相対化するまなざしこそが、人類の幸せを展望できる」ことだから。以下、各章ごとに簡潔に要点を記しておく。

<第1章:近世から近代への移行>
(課題テキスト)
・大塚久雄「社会科学の方法」(岩波新書1966年)
・川北稔「砂糖の歴史」(岩波ジュニア新書1996年)
・岸本美緒「東アジアの『近世』」(山川出版社1998年)

大塚久雄がマルクスとウェーバーを対置するのではなく、言わば「接続」することで「近代」を解明しようとした足跡と、大きな「理論」によって近代資本主義を解明しようとすることの限界と。
川北稔はI・ウォーラーステイン「世界システム論」の紹介者としても著名だが、その理論に依拠しながら「国家や国民の単位を超えた」中核による周辺からの収奪を描く「砂糖の歴史」は、モノの流れを通して巨視的に世界を見る好著として紹介される。
そこに中国明清史が専門の岸本奈緒氏が加わり、大塚史学や世界システム論があくまで西欧中心の世界観に基づいており、中国やインドから見た歴史はまた違ったパースペクティヴがあることが提示される。これはデヴィッド・グレーバーなどが近年指摘してきた「パラダイムシフトの必要性」とも繋がるお話。また、中国の「社会的流動性の高さ」と西欧との「自由の在り方」の違い~歴史を複眼で見ることの重要性。

<第2章:近代の構造・近代の展開>
(課題テキスト)
・遅塚忠躬「フランス革命」(岩波ジュニア新書1997年)
・長谷川貴彦「産業革命」(山川出版社2012年)
・良知力「向う岸からの世界史」(ちくま学芸文庫1993年)

遅塚忠躬「フランス革命」が、この社会革命の光と影を描いて秀逸なこと~特に「光そのものが影を内包していたこと」、ロベスピエールらの恐怖政治の悲惨と必然と。また、フランス革命を英国と比べて「相対的後発国でのブルジョワ革命」と規定し、日本の明治維新との対比で日本の近代化が基本的人権を置き去りにしてきた問題の指摘。日本の「産業革命」の後発性と特殊性。
長谷川貴彦氏も加わり、新しい民衆史の必要性~従来の「普遍史」からの脱構築の必要性を説く。これは近年隆盛な社会史~個人の体験・記録を通じて社会の動きを読み解く流れにも繋がるお話。

<第3章:帝国主義の展開>
(課題テキスト)
・江口朴郎「帝国主義と民族」(東京大学出版会:新版2013年)
・橋川文三「黄禍物語」(岩波現代文庫2000年)
・貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」(岩波新書2018年)

民族・人種・ナショナリズム~資本主義発展と国民国家形成、その帝国主義的膨張の同時展開。先進帝国主義国に「もみ手」をしながら、アジア諸民族を蔑視する白人に自らを重ね「アジアの盟主」たらんとする日本。そこで生まれる「国体」という特殊な概念。
貴堂嘉之氏も加わり帝国アメリカの形成について、ピルグリムファーザーズが「最初の入植者」であるとする、史実とは違う「建国神話」の流布~「十四か条の平和原則」で有名なウッドロウ・ウィルソン大統領が実は筋金入りのレイシストだったこと~「奴隷国家」としての起源、「移民国家」でありながら欧州からの移民とアジアからの移民の扱いの余りの格差、ナチスドイツでホロコーストを裏打ちした「優生学」が実はアメリカ発祥だったこと。「長い奴隷解放期としての19世紀」「理念国家としての明るいアメリカ像の修正」~「近代」がもたらした様々な課題を見つめ直す視点の提示。

<第4章:20世紀と二つの大戦>
(課題テキスト)
・丸山真男「日本の思想」(岩波新書1961年)
・荒井信一「空爆の歴史」(岩波新書2008年)
・内海愛子「朝鮮人BC級戦犯の記録」(岩波現代文庫2015年)

丸山が指摘する「主体としての個人・個人の自立」を生み出せなかった日本で、近代天皇制を中心とした「国体」概念が支配する「無限責任」~という名の「巨大な無責任への転落」~そこに横溢する「持ちつ持たれつ」の曖昧な行動様式。そして「空爆」という戦争責任の問題~それは敗戦国だけでなく戦勝国にも問われる厳しい課題。
ここでアフリカ史が専門の永原陽子氏も加わり、植民地責任について~特に「朝鮮人BC級戦犯の記録」を巡り、植民地支配によって「日本国民」として利用・使役され、戦後は「日本国民でない」として切り捨てられ放置された者たちのオーラルヒストリーが持つ意味と、歴史学が果たすべき「事実認定」と植民地支配責任の課題。ここで永原氏が「『謝罪』するかどうかにばかり焦点が当たるが、国家として何を事実として認定するか~まさに『歴史認識』の問題」としているのは私も全面同意。

<第5章:現代世界と私たち>
(課題テキスト)
・中村政則「戦後史」(岩波新書2005年)
・臼杵陽「イスラエル」(岩波新書2009年)
・峯陽一「2100年の世界地図:アフラシアの時代」(岩波新書2019年)

「戦後史」を考える時、それが戦前戦中と断絶したものではなく、その連続性の中に多くの問題が「積み残されてきた」意味。GHQの戦後改革や「戦後デモクラシー」を過大評価しないという指摘。そして世界が同時に「戦後」を迎えたのではない(多くの東南アジア諸国が植民地支配から脱するのはもっと後)こと。ナショナルヒストリーを超えて「戦後」を見ること。
中東現代史が専門の臼杵陽氏も交えて、イスラエル・中東地域が抱える問題とイスラエル国内でのシオニズム以外の多様な価値観の存在について。
「2100年の世界地図:アフラシアの時代」でのアフラシア(アフリカ+アジア)という概念。100年後には欧米ではなくアフリカ・アジアの人口が大多数になり勢力変化が起こるという予測。アフラシアがその時「分裂と対立」に陥らないためには、「増大・成長・成功を基準としたパラダイム」から「安定した持続するパラダイム」へのシフトチェンジが必要。工業化・都市化を至上価値とした世界から、新しい文明観への飛翔。歴史を語ることは、実は未来を語ることでもあった。






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