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東西両地域の比較対照で見えてくる様々な課題~「植民地化・脱植民地化の比較史:フランス‐アルジェリアと日本‐朝鮮関係を中心に」


2023年2月刊

これは2015年から始められた、日本(在日コリアン含む)・韓国・フランス・アルジェリアの様々な専門分野の研究者が集い学際的共同研究を行ってきた成果をまとめたものである。比較研究という意味ではまだまだ志半ばといったところなんだろうが、現時点で優秀な研究者たちの論考をまとめた著作を読めるのは、私のような研究者でもない一般人にも非常にありがたい。ここでの計11名による論考についてその全てに言及するのは私の手に余るので、この中で特に印象に残った論考について、簡潔にまとめると共にそこで考えたこと・感じたことを記しておきたい。

まず愼蒼宇(シン・チャンウ)法政大学社会学部教授による「日本の朝鮮植民地化と民族運動」に関する論考では、明治維新以降の朝鮮半島での利権獲得競争に始まる日本の「侵略・支配の試み」が、決して1910年~45年の「日韓併合期36年間」に限定されるものではなく、その後の半島分断への関与・朝鮮戦争への「参戦」と「特需」という受益、また現在にまで続く在日コリアンへの差別構造・政策へと続く、言わば「150年戦争」なのだという捉え方に、新しい「視座」を教えられた気がする。

また吉澤文寿新潟国際情報大学教授による「1965年体制」に関する論考では、1965年「日韓条約」締結までの長いプロセスと双方の認識の埋めがたい相違、その後の1998年「日韓パートナーシップ宣言」や「徴用工問題」を巡る2018年韓国大法院判決とそれ以降の展望について語られるが、「1965年体制」が維持してきた中途半端で欺瞞的な歴史認識と「反共の砦」としての立ち位置の質的転換を図り真の植民地支配責任に向き合うこと~そこにこそ未来への展望があるという主張には私も全面同意である。

そして鄭栄桓(チョン・ヨンファン)明治学院大学教授による「外国人登録法を巡る在日朝鮮人団体の動き」に関する論考では、1956年の同法施行での「指紋押捺義務」を巡って、当時の朝連⇒総連が地方組織ではかなりの「押捺反対・拒否」運動を展開していたことにちょっと驚いた。朝鮮総連はその後、在日コリアンは「朝鮮民主主義人民共和国の海外公民」という立場に立ち日本の内政問題には一定の距離を置くようになるが、当時は「下からの突き上げ」もあり指紋押捺にそのまま応じた訳でもなかったようである。ちなみに1980年代の「指紋押捺拒否運動」の広範な拡がりから、その後この「犯罪予備軍」に対するような非人道的な措置は廃止されたが、1984~5年頃に区役所での外国人登録更新手続き時に私も「指紋押捺」に応じたことがある。当時大学生だった私は「拒否しよかどうしよか?」と迷いながら区役所に行ったが、担当係が申し訳なさそうに「台紙」を出して来たら何やら拒否するのもかわいそうになってくるのだ。懐かしい思い出。

翻ってフランスによるアルジェリアの植民地支配と独立~その後の展開について。小山田紀子新潟国際情報大学教授による「アルジェリア植民地化とその支配構造」に関する論考では、オスマン帝国に組み込まれたアルジェリアにおいて機能していたイスラーム法による土地制度が、1830年からの侵略でフランス近代法によって土地管理者が塗り替えられていく過程、フランスからの植民者が優良な土地を占有し原住民は僻地に追いやられていく様、そこでの「ワインのためのブドウ栽培」へのモノカルチャー化、多様な作物栽培の枯渇、アルジェリア人農業の衰退と貧困化の様相が詳細に論じられている。これなどは朝鮮での日本の「土地調査事業」とも様相が似ていて、帝国主義的搾取・収奪がいかに同じようなプロセスを経るかがよく分かる。

また、1954~62年のアルジェリア独立戦争での苛烈な弾圧とFLN(民族解放戦線)らを中心とした抵抗・武装闘争~ダホー・ジェルバル:アルジェ大学元教授や渡辺司東京農工大学准教授の論考を読むと、その経緯の複雑さ・諸勢力の権力闘争と、フランスとの独立交渉の紆余曲折がよく分かる。

そして独立後のアルジェリアが抱える独裁政権との長い「内戦」や、植民地経済を維持し地下資源に依存し続ける産業構造の問題。朝鮮半島南部の韓国が、植民地時代の支配構造をほぼそのまま維持し続けていたこととの類似性。

最後に、平井美津子大阪大学非常勤講師が日本の社会科教科書での「植民地支配等の記述」の変遷についてまとめているが、戦後一定期間は「韓国併合」についての記載が少なかったのが、徐々に歴史学研究の成果が反映され出し、1982年の「近隣諸国条項」によって中国・朝鮮での侵略の実態についても詳しく記載され出したのが、90年代後半以降の右派による「自虐史観批判」からどんどん内容が削除・希釈されていく様~さらには政府の「閣議決定」に従うよう半強要される多くの教科書会社。現状は惨憺たるものである。

しかし、アルジェリアとフランスの「記憶の戦争」を巡っても、植民地から本国に戻ってきた(逃げてきた)フランス人・フランス側に立ったアルジェリア人・ユダヤ人・独立闘争を戦ったアルジェリア人などその立場によって「支配と搾取の時代」をどう捉えるかは、まだまだ「共通認識」は形成されていない。そして1970年代頃までフランスでも「アルジェリア支配の歴史」は学校教育でほとんど触れられなかった事実。昨年のマクロン大統領アルジェリア訪問や、両国の歴史学者による合同委員会設置など、両国の「過去の歴史の共有と教育」については、まだまだ「始まったばかり」と言っていい。そういう意味で、「日本ー朝鮮」と「フランスーアルジェリア」は今後も「共に学び合い、経験を共有し合う」存在であると私も思う。

「過去に目を閉ざす者に未来はやってこない」~この共同研究成果は、そのことを改めて認識させてくれる。非常に有益・有意義な著作であった。


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