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「おなじレベルでは解決しない」ってはなし

「遊ぶように働く」というタイトルでオンラインイベントにてお話をさせていただいた。
もちろんそのことに関する答えを出すというより
「遊ぶように働いている」ように見える人として呼ばれたんだということだと思うので
「感じていること」をお伝えさせてもらった。

最後の質問のなかで
「趣味を仕事にするのは経済的難点がある」
「遊びと仕事を混ぜてしんどくなった経験」
これについての意見を求められた。

次元のはなし

みんな次元という概念は知っていると思う。
ドラえもんの四次元ポケットが
日本人に次元の概念を一般化してくれたんであろう。
ウィキると

数学・物理
n 個の変数で状態を記述する時、その n を次元と言う。例、直線は一次元、平面は二次元、空間の三方向のひろがりを表す時は三次元。
次元は、空間の広がりをあらわす一つの指標である。座標が導入された空間ではその自由度を変数の組の大きさとして表現することができることから、要素の数・自由度として捉えることができ、数学や計算機において要素の配列の長さを指して次元ということもある。

こんな感じ。
僕は最近、この次元という感覚を非常に大事に扱っている。
何故そうなったかというと
「からだは誰のもの?」
「時間は平等に与えられているわけではないはなし」
「お父さんは役職か?というはなし」
前述したnoteも併せて読んでいただけたら
理解する助けになる(余計複雑化するかも)と思う。

一次元は点に過ぎない。
二次元は平面だ。
そして、我々のいる立体は三次元。

そして、それぞれの次元で起こる
問題や課題は自分の次元では解決できない。
というのが事実だ。

いかなる問題もそれが発生したのと同じ次元で解決することはできない。
〜アルベルト・アインシュタイン〜

この名言は”次元”の部分が”レベル”とも”意識”とも訳される(原文はlevel)
個人的にはどの翻訳もしっくりきている。

次元という話をされてもしっくりこない人が多いと思うのでわかりやすくすると

次元をわかりやすく説明してみる

みなさんが紙に鉛筆で絵を描いたとする。
間違えたら消しゴムで消して修正できるし、女の子を描こうと思ったけどドラゴンを描きたくなったらすぐにでも書き直すことができるだろう。

これが「高次元でしか解決できない」という例である。
絵の世界は二次元だが
二次元では書き直しも修正もできない。
二次元を修正可能なのは三次元より高次元によってだ。

ここで敢えて注釈を入れておきたい。
高次元の方がレベルが高いとか、良いとかのはなしではない。
平面にも立体にも良し悪しは無い。
二元論的感覚をインストールされてると無意識的に善悪に押し込めたくなるから注意だ。

では僕らの生きている世界の三次元を
解決する四次元とはどういうことだろうか。
これは、意識の話だ(「からだは誰のもの?」参照)

三次元で起こる事実と因果関係、合理的で論理的に問題原因を特定し
それを改善したところでよくはならない(可能性が高い)
というのが僕の考え方である。
なぜなら「扱うのが」感情的で、恣意的で、衝動的である
「人間」である以上、機械的問題解決方法では解決しないのである。
(例外はあるだろうけど、本質的にはという意味で)

では”意識”を動員した解決方法というのはいったいどういうことか?
HUMANFORUM CAMPに参加いただけたら一目瞭然だけど
(ちょうど10期の募集が始まったところだ)
その面白さを多くの人と共有するために
HUMANFORUM CAMP FACEBOOK GROUP
を作ったので興味のある方は参加していただきたい。
無料だし参加は自由だ。

次元を感じるためにじぶんを整える

最後の質問のなかで
「趣味を仕事にするのは経済的難点がある」
「遊びと仕事を混ぜてしんどくなった経験」
これについての意見を求められた。
これに僕は答えなかった。

答えたのは
「このことに解答するには、その人の具体的な事例が必要です。そうでないと的外れな答えになることもあり得るので」
ということだった。

”意識”というのはあくまでパーソナルな部分に依る。
この質問をされた方の”意識”を感じないと解答できるだろうか?
仕事がうまく進まない時のパターンはひとつしかない。
ご本人の心が整っていない事がほとんどだ。
何故なら現象とは自分が起こすものだからだ。
上手くいかなかった時の状況とそのひとがどこまでやったのか?
ここを聞かない限り解決はしない。
「外的状況」と「意識の状態」この二つが揃うことこれが四次元的感覚だ。

なのでこの手の質問をひとつのカテゴリーで話することをしない。
しても良いけど有効な時間の使い方とは思えない。
質問者はその答えを自分と切り離し「何か解決したように見えるもの」を扱って迷宮入りしていくだけなのだ。
これはゲーム三角形の構図でもある。
これは終始三次元間の話にしかならないので水掛け論になり解決しない。
(正確には解決したように見せかけることはできる、あまり意味のない対話で終わる。多くの討論番組がこれなのにみんなも気づいているだろう。)

その質問をされた方から
きちんとお話を聞きたいなぁと待っている。

ちなみに最終的な次元の極面は1次元だろうと妄想しています。

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