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自然とネオ自治体 vol.1

いまいくつかのプロジェクトで取り組んでいることの
中心に据えている考え方、ビジョンを備忘録的にメモしておきたいと思います。
コロナを境に人類が遅々として進められなかった様々なことが
一気に加速し変化していっています。
大きく捉えているのは人間のあり方の変化です。
そして、その「あり方」とは人間が人間らしくというとの意識の変化だと考えています。
そういうと、どこか平凡な感じに聞こえますが
「人間が自然な状態に」というほうが的を得た言葉だと感じます。
その内訳がどのようなものかを書いておきます。

「自然」の語源

まずは自然という言葉を捉え直しておきます
ちょっと言葉が多いので複雑に感じるかもしれませんが
会議でもプレゼンでも夫婦間の会話でも(笑)そうですが
そもそもの言葉の定義を揃えておくことは後述する内容へ影響が出ますのでお付き合いください。
※語源の部分はネットで拾った様々な方々の貴重な情報を編集して転機していますのでソースは各自でのご確認をお勧めします。

コトバンクによると
「自然ということばは中国に由来することばで,最初に現れるのは《老子》である。 自然とは,猛然とか欣然のようにある状態を表すことばであり,存在を示す名詞ではない。 自然とは自分に関しても万物についても人為の加わらない状態,おのずからある状態を意味している。 自然という漢語が日本に入っても,長い間この意味は変わらなかった。」
とあります。

また
自然という言葉は、中国からきた概念で、存在を示す言葉ではなく、状態を表すものであった。 「老子」では、人為を加えない本来のままであること、無為であること、物のあるがままであることを、理想として「無為自然」を主張した。 日本に入った時もこの意味で使われ、「自然」(じねん)とも呼ばれて、人為の加わらないようす、わざとらしくないこと、物の本来の性質、物事がおのずから展開していくさまを指してよんだそうです。
この概念に変化が出たのは明治時代。

私たちの捉えている「自然」は自然じゃなかった


現在、私たちが感覚的に使っている「自然」とは英語のNature「ネイチャー」を示す言葉に変化しました。
明治時代の日本に西洋語が入って来るまでは今私たちが使っている「自然」が示すような概念はなかったということです。
西洋的「自然」とは「人工」Artと対立する「自然」という概念を示すようです。

つまり
元々、中国から来た「自然」という言葉は「森羅万象(人間も含む)」という状態を示す概念であり、それは宇宙や人間を含む全てのあるがままの状態を表す言葉だったけれど
それが時代の流れと共に変化してきたということのようです。

昭和の辞書では
「自然」は「人間を含め、山川・草木・動物など天地間の万物」となっているのに対し

平成生の辞書では
「1.天体、山川草木、動物など人間社会をとりまき、人間となんらかの意味で対立するすべてのもの。
2.広義では人間そのものを含むことがある」と変化が見られる。
注視すべきは「人間」が「自然」に内包されていた概念が、いつの間にか切り離して定義されている点です。

これは元来日本人の思考の中になかった
「人間を自然と対立させて考える」という西欧的な自然観が言葉として概念として定着し
私たちの無意識レベルに「人間と自然」と分けて捉えることに繋がり
言葉からこころまで浸透することになったということのようです。


私たちの歩く道は自然なのか?


まず、私たち人間は生まれてから「効率性」「便利さ」「豊かさ」などに対しての
人工的に作られた思い込みが無意識レベルの先入観に埋没していると考えています
例えば、みなさんが普段歩く道。
僕の実家もそうですが、田舎の奥の方に行くと道というのは地球の表面であり
場所や環境によって違いはありますが土です。
土の上を歩くと白いソールが美しいお気に入りのスニーカーはすぐに汚れます。
そこで感じる不快感、あとで掃除する手間を考えると面倒さを感じます。
その感覚の無意識レベルには「アスファルト」や「タイルやれんが」の道という前提があることが見て取れます。
都会や幹線道路、舗装された道路が当たり前になっているからです。
でもよくよく考えると元来、道は土であることが「自然」であるということ。(人間主体からの視座転換)
しかし、このように書くと「人工的舗装道路は自然ではない」ととあえてしまいがちですが
実は舗装された道は「人工物」ではあるものの
その起源もまた「自然」
舗装された「人工物」それもまた「自然」である。
(ここはちょっと頭を捻らないと捉えにくい部分だと思います)
そして、そこにあるのは「有難いこと」であることに気がつきます。


まとめると
●「人間と対立するものとしての自然」という感覚が私たちに浸透している。
●元来東洋の「自然」の概念は対立するものではなかった
●「自然」とは森羅万象すべての、あるがままの「状態」を表す言葉
もう少し付け加えると
●「人間と自然」のみならず「生死」という時間の分断すらない状態を現していた。
ということなのかもしれません。
この前提をおいて次回につづきます
昨日とは違う「自然」な1日を‼︎

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