2021年を振り返って
ども。
久々にまともに記事でも書こうかな〜と思っていれば12月も終わり過ぎ、さすがにそろそろ書き出さなきゃいけないな、と思うのです。
今年は本当に頭の方は、コロナにてどうしていけばいいか、いまいちピンとこず、ただただ、新しく入ってきて増えていった人材にいかに遅れずに、「会社だけで給料をちゃんとと支払うか」がテーマだった。
それほど、当社は(と言ってもどれがというくらい、また手がける法人が増えてきたのでここではメトロノームの会社とする)財務が弱かった。
財務が弱いのは今でもそうだが、例えば財務が弱いということは会社の中ではなかなかの危機に瀕する。
で、そういうことも踏まえどうやって1年をやっていったかを、月毎に振り返ってみたい。
1月
ミュンヘンのoptiが中止、2月のミラノのMIDOが延期になったということでさらに悩む。当社は主に海外販売でなんとか生き残ってた会社なので、正直展示会が中止や延期になればなるほど
「あ〜まじやっべ〜」
とい言うことしか考えずに、コンサル業だけやたら多忙になってたので、何とか気を紛らわしてられた。
が、普通の経営者ならまじで追い詰められてたと自画自賛で思う。
淡々とその当時のアシスタントAと、毎日が過ぎていく。Aがだんだん精神的に病み出して(会社ではない家庭の事情にて)、事務所にこなくなりだす。
2月
月初にアシスタントAとOが入社、さらに昨年12月いっぱいで退社したIさんからの、ようやく財務でOが入る。また、PRに旧友のHが加入。その顔合わせ会議にて旧来のアシスタントAが2回ブッチ。流石にと思ったが彼女の精神的な面も知っていたので注意だけにしていた、が。
その後さらにAが家庭内の事情にて正直会社としてのっぴきならない事情に巻き込まれそうになり、上記スタッフと話し合い苦渋のクビ。ちなみにこの会社をやって10年、40人弱雇ってきたが、クビは3人目。
3月
新ブランド二つの最終確認やLOOK撮影、PERIMETRONの集ちゃんと新しいLOOKの打ち合わせが続く。また、鯖江に毎週弾丸で行っていた。
アシスタントAが4月からフルタイムになると言うことで、アシスタントごとの区分け作業を徐々にこの頃から行う。主にAがもっぱらのアシスタント、外交業務で、OがECや海外の販売の業務。
さらにAnthology Hair x Manic Panicの撮影の合間に、トランクショーに顔を出すと言うなかなかのハードワークだったな、と思う。
4月
新しいブランドの撮影、METRONOMEの撮影が続く。また、花書は初めて沖縄に。リテーラーさんとイベントが続くが、この当時沖縄も緊急事態宣言下、なかなか気をつかうことになる。落ち着いたら沖縄はまたいきたい。
業務委託にて一つ目の新しいブランドの話が始まる。(当社はあくまでコンサルで入る)
鯖江に1週間ほど滞在。その際に集ちゃんらが今行ってる「福井TRAD」が始まる、そのために福井の友人をシュウちゃんたちにつなげる。
5月
デジタルMIDOの準備。比較的5月は連休過ぎると毎年落ち着いてるため、熊本に。お世話になる人たちにあいさつがてらそのまま福岡に。両県とも緊急事態中のため飲み屋がやっていない。なんとも寂しい感じで出張&出張。
6月
デジタルMIDO。時差の為、ほぼほぼ寝れなくなる。
日本の小売店、代理店に対して少し営業に回る。そこそこ売れる。
また表面処理の業者の遅れを、ケツを叩きに鯖江の業者に1週間滞在。ホテルが空いていないので金沢から通う。
今思えばあまり忙しくない月だったな。
7月
Resonance、Trad同時発売。検品でスタッフ全員残業&出社。業務過多により新事務所を探し出す。すぐに見つかった事務所が3番手で次を探していたが繰り上がりで私たちに。これが今の中目黒の事務所である。Aと時間ができたら解体しにいく日々。
この頃からSILMOの準備のため、毎年のことだが展示会の内装屋さんと話ことに。
隙みて大阪出張や福井に出張。
8月
毎年海外に行ってる月だけに、基本暇だが今年は通常営業だった。
着々とフランスに行くためにワクチンの接種や、カタログの入稿、中目黒の事務所解体を進行する。
9月
月初からSILMOに向けてロンドンスタッフのYを入れた全体での週1ミーティングが始まる。デビロックの発売や、自身の免停更新などをこなしながら海外に行く準備を進める。
後半から中目黒の事務所に業者を入れてフランスへ。
各自スタッフのブログを見て貰えばわかるが、たまたまいやな税関職員にパリで当たり、カルネの問題で揉める。
しかしながら、比較的日本とは比べようもないパリのコロナ事情や風景に圧倒されつつ、商品が売れ、「やっぱ海外だな〜」となる。
10月
1日帰国、14日まで自宅隔離。ほぼ毎日のようにzoomしつつ他の企画や販売の計画、発送業務を行い、14日晴れて中目黒の事務所の引き渡し&引っ越し。
15日から日本展示会。
後半はKUDANの撮影等で少しバタつくが、僕の方は比較的上記以外考えなくてもよかった。
11月
結構な頻度で、鯖江に新しい部門の事業立ち上げで通う。なんならいつもドーミーインに宿泊してるのだが、最近埋まってて、金沢の「御宿 野々」から通う。コスパが半端ないのでおすすめだ。
新しいこととしてではないが、商標「Trad 」を取得。Trad®︎になる。
12月
物流が止まりかける(飛行機の減便)という、輸出にとってなかなか致命的な事態になってて、新木場まで出しに行く、取りに行くをよくやった月だ。
KUDANコラボレーション発売。
自宅に泥棒が入る。
少しずつスタッフがだれてる感じがするのでちょくちょく嫌味を言いがちになってしまったが、今年は代理店各位にはお歳暮もなんとか送れたし、顧客さんには年賀状も送れた。そういうふとした細かいことが少しは成長できたな、と感じた。
と、上記の通りとなる。
記載できないようなことも多いのだが、まあ今年一年は会社としては売り上げもコロナ禍の割にそこそこ、スタッフの役割も少しずつわかってきて、会社として少しずつ機能し、成長した年であるといえる。
年間目標として僕は、本来であれば今年には移住する予定であったため、3年間スライドし2024年までを目処に移住化計画、法人はスタッフに全て任せても運営できるようにまではしたい。
みなさんはどうでしたでしょうか。
またもやオミクロンとか言い出していますが、このままいけば私たちは2月にはイタリア、3月にニューヨーク、5月にドイツといかなければいけません。
やはり一番パリで驚いたことは、日本の危機感と少し違う点や、誰もマスクしていない、ワクチンパスポートがズボラなようで案外機能してたりする社会的なインフラが違うことをひたすら感じました。
僕の趣味は本当に少なく、仕事が一種の趣味の延長で来ているもので、その中でやはり海外や国内の旅行から、いろんなインプットが入り、それをデザインに落とし込んでいくパターンが多いので、正直かなりこの2年は苦労しました。
しかしながらやっていかねば食っていけないのもまた事実で、ここをさらに面白くしていくためには、人よりもっと稀有なことをしていかなければ、体験していかなければ、と思うわけです。
生きていく中でまあ色々ありますが、厄年真っ最中で、世界が厄年みたいな中、なんとか今年も越せそうだな、と思います。
感謝です。
これを書いてる12月27日、弊社、今年は忘年会もできます。
本当に感謝です。
ではまた、来年もよろしくお願いします。
良いお年を。
Bisei
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