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84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十九

少し時代が前後しますが、40代になると私は少し時間ができて、文化サロンに通えるようになりました。

以前から習いたかった人形作りの講座に通うと、木目込み人形づくりにはまり、お雛様やお福さんなどの人形を20数体創りました。自画自賛で恐縮ですが、思いの外良い出来でしたので、1体だけを残して、あとはすべて娘やお友達にプレゼントしました。

また、文学を読み解く講座では、大学で講師をされている先生から課題が与えられ、例えば谷崎潤一郎の「細雪」ならば、小説を読んだ後に舞台となった芦屋や、大阪の船場を歩き、時代背景やその土地の風土などを想像しながら、その物語の深いところに思いを寄せていきます。長年大阪に住んでいても、ほとんど歩いたことのない場所がたくさんあって、この講座に参加して、街や世の中を見る目がほんの少しですが変わった気がします。

当時はバブル真っ只中で、夫はゴルフ、私はカルチャーセンター、初孫ができ、息子が大学生になって、次女の結婚も決まり、我が家はとても幸せに包まれていました。

そんなある日、50歳の夫の足に異変がありました。

お友達ご夫婦と京都の天満宮に行ったときのこと、足が痛いと時々立ち止まるのです。杖を借りてなんとか参拝しましたが、痛みは激しくなるばかりなので、早々に帰宅してベッドに横になりましたが、その夜痛みがピークに達し、唸りだしました。
「どうしたの?」と聞くと、苦痛に顔をゆがめて「足が痛い」というので、お布団をめくってみると、ひざから下が紫色に変色しているのです。

これは昨日や今日に始まったことではないと思って聞いてみると、もうかなり前から痛みはあったと言います。「足が痛い」というとゴルフに行かせてもらえないと思って言えなかったと。まるで子供です。夫はゴルフが趣味で月に数回はゴルフ場に通っていましたが、数か月前から靴が合わないと言っては、何度も新しく買い替えていたことを思い出しました。

翌朝一番に病院に行くと、「バージャー病」だと診断されました。バージャー病というのは、喫煙する男性に多く、四肢の閉塞性動脈疾患というもので、もう少しでひざから下を切断しなければいけなかったらしいのです。運よく、バージャー病の第一人者の医師をご紹介いただき、8時間半に及ぶ手術を受けて事なきを得ましたが、術後は執刀してくださった先生がフラフラになるほどの大手術でした。それから40日の入院生活に入りますが、筋肉が弱るからと、翌日からリハビリが始まります。

最大の敵はタバコなので、当然禁煙。
痛いし、イライラするし、食事はまずいし、歩けるようになるのかという不安もあって、怒りのもって行き場がなく、すべての感情を私にぶつけてきました。不安になるのも無理はないと、ここはぐっと我慢して、食事だけでもおいしく食べられるように毎日お弁当を作って届けましたが、私も突然やってきた不安のせいか、血圧が急上昇して病院で倒れてしまい、看護婦さんに勧められて少し休んでから病室に行くと、いきなり「遅い!」とティッシュの箱を投げてきました。

まったく、気の小さい奴だとカチン!ときましたが、せっかく作ったお弁当に手を出さないともっと頭に来るので、「おいしいお弁当で機嫌直しなはれ」と夫が食べやすいよう、何事もなかったようににっこり笑ってテーブルに並べました。それからは、ありがたいことに夫の会社の若い男の子と息子が車で自宅と病院の送り迎えをしてくれて、何とか40日間のリハビリ入院生活を乗り越えることができました。

半年後、次女の結婚式では花嫁の父を無事に務め、日常が戻ってきました。

ちなみに、お弁当は結婚した時からずっと作っていますが、夫が一番好きだったのは鮭と卵焼き。日本の旅館の朝ご飯はお味噌汁と鮭と卵焼きが必ずついてきますけど、これは栄養バランス的にも理想的なのだそうです。昔の食の知恵はすばらしいですね。


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