小説VSビジネス書

読書が好き!と一口にいっても、相手の読書が自分の親しんでいる読書と同じとは限らない。

読んでいる本にも色々ある。


中でも大きく違うと思うのは、
小説とビジネス書。

どちらか片方しか読まないよ、という人も多くいる気がする。
そして同じ読書なのに、どこかいがみ合ってるような感じすらするのは気のせいだろうか。


面接で読書が好き!といって、中身が小説だと答えたときの面接官の落胆。

きみ、そういうのは読書とは言わないよ。ビジネスマンの自覚あるの?


小説が大好きな人のビジネス書への偏見。

あんなものは、自分で物を考えないバカが読むものだよ。金儲けの本。



もっと細かく括って突き詰めていくと、
小説の中でもラノベと純文学ではまったく色合いが違うし、ビジネス書についても古典的で理詰めなものから、スピリチュアル的ふわふわしたものまである。

当たり前のことだけど、世の中には本当にいろんな本がある。
読書って人によって違う。広義の趣味なんだよな、と思う。


私自身はどちらに対しても親しみを持っている。
それぞれに良さがあって面白いし、それぞれに役に立つ。

正直どちらも好きだ。雑食タイプ。


でも、大学生以降は圧倒的にビジネス書の比率が高くなった。
それまではずっと小説ばかり読んでいたのに。
一度ビジネス書を読むようになると、ふと、いつも当たり前のように読んでいた小説を読む意味がわからなくなって、まったく手につかなくなった時期もある。

小説を読む意味ってなんだろうと考えることが多くなった。



最近になって少しずつ自分なりにはっきりと分かり始めたこと。

この2つは読むときのマインドも違えば、
目指すべきゴールも違えば、
本に求めていることも違う、ということだ。

同じ本だけど、
同じ本だと思って読まない方がいい気がしている。

そして、どちらかが優れていて、どちらかが劣っている、なんてことは全くない。



本は費用対効果がいいってほんと?
小説とビジネス書のゴールの違い

習い事やセミナーなど、自分を高めるためにはいろんな方法がある。
その中でも一番、費用対効果が良いと言われているのが、本を読むこと。

比較的安価に、もしくはタダで。
良質な知識を得ることができるのが読書。

確かに。そうかもしれない。

けれど、小説にしても、ビジネス書にしても、効果はすぐには出てこないということは心得ておきたい。



◆ビジネス書のゴール

費用対効果というと、やはり小説よりもビジネス書の方が期待値は大きい。

日常の役に立つスキル、
最新の研究から導き出された新事実
目から鱗の裏技、抜け道
などなど

自分ではなかなかアクセスできない情報を、専門家や有識者の手を借りて、効率よく学べるのがビジネス書である。

だけど、ビジネス書には落とし穴もある。
それは、読んだだけではその知識を生かすことはできない、ということ。

読んだ内容を日常にどう活かすか、どう取り入れるかまで、自分で考えて実行しないことには、欲しいと思っている効果が得られないことがほとんどだ。

よく学生が、資格の参考書を買っただけで、勉強した気になってしまい、買ったのに結局開きもしない、なんていうけれど。

ビジネス書でも同じことが起こる。
ビジネス書の場合、もっと厄介なことに、買っただけはもちろん、読んだだけでは知識はないのと同じ。

あっという間に忘れて、読まなかったことになる。
もしくはただの蘊蓄で終わる。

お金持ちになれる本が世に溢れているのに、みんながみんなお金持ちになれないのは、読んだだけでお金持ちになれた気がしてしまう人や、メソッドを実行に移さない人、自分の環境に合わせて独自にアレンジしてみようと考えている人が少数だからではないだろうか。

ビジネス書の最終的ゴールは読了ではなく、自分で考えて実行に移すこと。


そこまでしてやっと、のぞむ効果を得られると考えた方がいい。




◆小説のゴール

小説のゴールはシンプルに、読了すること。

そもそも小説に費用対効果、役立つかどうかなんて求めるべきではない。


私が学生時代に小説を読む気がしなくなってしまったのは、おそらくマインドがビジネス書思考になっていたからだ。


一度ビジネス書を読むと、よし、この本では〇〇の知識を獲得した!という明確な収穫物が現れる。(もしくは現れた気になる。)
そういう読書が常になると、よむことの目的が、ためになる知識を獲得することになってしまう。

誰が読んでもわかりやすいように、一つの明確な答えに辿り着けるようにビジネス書は書いてある。
論理的かつ簡略に、伝えたいことを明確に表示している本だ。
ゆえに結論も早く、迅速に知識にありける。

それに引き換え小説は、書かれていることは虚構の話がほとんど。
なおかつ、
回りくどいい方。
あえて言葉にしないこと。
意味があるようで意味がないこと。
3行ですむ発見を100ページの物語にしている場合がある。


そして、読むことで得られるのは、おもしろかった!悲しかった!怖かった!好きだ!などなど、役に立つ知識よりも、とても個人的かつ感情的な感想だ。

ビジネス書のように本に合理性を求めているときのマインドには、そうやって虚構の世界に遊びにいくことになんの意味があるのか、わからなくなってしまう。


でも、それでいい!小説とはそういうもの!


読書=勉強のイメージは強いけれど、小説は読みこなす難易度こそあれ、根本的にはエンターテイメントだ。
勉強という堅苦しいものではなくて、よりアーティスティックな代物だと、位置づけなければならない。

壁にかけてある絵画と同じ。
見ることで安らぎや、心の揺らぎを感じることはあっても、役に立つか?実用的か?なんてことは問題にならない。

読むことの意義を考えること自体が、間違っている。

ただそこに現実を忘れる物語があって、自分が楽しめるかどうか。
そのものを楽しむための本だ。




小説の魅力とは?本当に役に立たない?


だからといって、小説が娯楽に尽きて、全く役には立たないということはない。

決まり切った答えがあるビジネス書とは異なり、小説には正解がない。
読む人、一人一人全く違った学びがある。
同じ本を読んで悲しいと感じる人がいれば、楽しかったと感じる人がいる。

なぜ、これを読んで私はこう感じるのか。
私だったらどうするか。
時代が違ったらどうか。

受けた物語に対し、自然に自分の考えが浮かんでくる。

とても個人的かつ、オリジナリティに溢れた思考の読書なのである。
ここで手に入れられるのは、自分だけの発見だ。


そして、ビジネス書がこういう知識が欲しい!この問いに関しての答えやヒントが欲しい!とある程度狙いを定めて読むのに対し、小説はどこの部分が、いつ、自分に生きてくるのかわからない。

一度何気なく読んだことが、後々になってふと思い出されて理解できることもある。
主人公が言っていた何気ない知識に、実生活でふと出会うことがある。
同じ経験をして、ああここにも同じ人がいる!と力づけられることがある。

自分から何かを獲得しよう!というアプローチではなく、富士山に降った雨が、何年も経ってから湧き水として地上に噴き出してくるみたいに、自然発生的に学びがもたらされる。

そうして、何気なくも力強く、生活に寄り添ってくれるものだと思う。



ビジネス書の魅力


公平を期すために、ビジネス書についても考えてみよう。

ビジネス書の良いところは、その気があれば生活にダイレクトに生かすことができ、そうすることで同じ毎日に目標と変化をつけられるところだ。

本当に悩んでいる時は、小説のようにじっくり助けを待っていられない時がある。そんな時は先人の知恵を迅速に手に入れるのが一番だ。

低迷期、迷ったとき、突破口のヒントをくれる本だ。


また、ずっと読んでいると考え方にも、流行り廃りがあることがわかる。
様々な研究が進み、以前提唱されていたことの弱点が発見されたり、新しい思考術が発見されたりする。

ここからわかるのは、物事に絶対はなく、常識はつねに変化するということ。

その中で、自分は何を選び取り、何を信じて、何を生かして生きるべきか。
考えさせられることも一つの魅力だと思う。

そしてその流れを見ていると、世界がどういう風に動いているかもうっすら見えてくるような気がしてくる。


また、プロデュース能力も養えるかもしれない。
たくさん読んでいると、参照されている研究で同じものが出てくることがある。いろんな人があらゆる角度の本を出しているけれど、使われている材料は実は同じだったりする。
同じ研究でもまったく違う文脈で使われているのを見ると面白い。

それを生かすために、どういう順序で紹介したらいいか、比べてみるのも学びに繋がるし、自分なりに真実かどうかを推しはかれるようになる。




読書に対して思うこと

日本人は海外の人に比べて、芸術の消費量が少ないと言われている。
美術館に行く比率、絵画などの絵を購入する比率も低い。

小説を芸術作品として考えるならば、これもまた、同じように当てはまるのかもしれない。


何事もスピーディに!無駄なく!合理的に!が重宝される社会においては、その傾向は加速する一方じゃないだろうか。

生活の余裕がない中で、改善するためにビジネス書で勉強しようと考えることはあっても、ゆったり小説を読もう!といういう気はおこらない。
即時的な利益ばかりを追求する中では、小説という選択肢は消えていく一方だ。

そう考えると、これは心の余裕とか、豊かさの象徴のようにも思えてくる。






人が本から離れて、瞬時に答えを出してくれるネットに100パーセント頼るようになるのは怖い世界だ。

正解か、不正解かだけの判断だけが先行し、みんなが同じ考えに均一化されていくイメージ。

グレーゾーンみたいな割り切れない感情や、独自の考え方を容認する余白が消えていくような気がする。


自分だけの見解を得たり、取捨選択したり、しっかり考えていくためには、やっぱり時間をかけた読書って大切だと思う。

小説でも、ビジネス書でも。























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