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フラニーとズーイ J.D.サリンジャー

この本は私が初めて読んだJ.Dサリンジャーの作品です。

とても良かったので記録しようと思います。


作者であるサリンジャーの人物像については、映画を以前まとめているので、気になる方はこちらをチェック✳︎



サリンジャーがどういう人物なのか、少し理解がある方が楽しみやすいかもしれません。
ちなみにこの作品は、ライ麦畑でつかまえてで有名になったあとの作品で1955年に発表されました。



◇あらすじ

あらすじを、ごくごく簡単にいうと…

兄であるズーイが、塞ぎ込んだ妹フラニーを励ますお話。


そして、先に言っておくと、結構宗教色が強い作品でもあります。

以前、紹介したことのあるカラマーゾフの兄弟も、宗教に関して兄弟で議論しているシーンが出てきますが、ちょっと似ているかもしれません。
こっちの方が読みやすいかなと思います。


フラニーは大学生。
ズーイは5歳年上の俳優です。


◇フラニーの悩み


フラニーが塞ぎ込んでしまっている理由は、
世の中がエゴにまみれているということに対しての欺瞞が止まらなくなってしまったことにあります。

…かなり複雑な悩みですね。


物語の中で、フラニーは彼氏であるレーンにこのように語ります。

私はただ、溢れまくっているエゴにうんざりしているだけ。
私自身のエゴに。みんなのエゴに。
どこかに到達したい、立派なことを成し遂げたい、興味深い人間になりたい、そんなことを考えている人々に、私は辟易しているの。


偉ぶってる先生も、インテリぶってる彼氏にも嫌気がさして、
かといって自分自身も完璧にはなれなくて、
精神的に参ってしまっている状態です。

君は競争するのが怖いんじゃない?

と彼氏にも指摘されますが、そんな彼らと一緒にされることすらうんざりなの、とフラニー突っぱねます。

私は自分が競争心を抱くことを恐れているの。それが怖くて仕方がないわけ。
だから私は演劇科をやめちゃったの。
自分を全くの無名にしてしまえる勇気を持ち合わせていないことにうんざりしてしまうのよ。何かしら人目を引くことをしたいと望んでいる私自身や、あるいは他のみんなに、とにかくうんざりしてしまうの。

名声欲に対する嫌悪感。
なんだかんだ言っても、みんな全ては自分のためにやっている、
という世の中の汚さに彼女は押しつぶされそうになっているんですね。
ご飯も喉をとおらず、好きな演劇もやめるほど。

宗教書に救いを求め、一冊の本を大事にしています。
そして、暇さえあれば教えに則って、祈りの言葉を口ずさむ毎日…。



今でいう、精神を病んでいかがわしい宗教に入信、みたいな話にも聞こえてくるからだいぶやばい精神状態なのかなと思います。

でも、個の時代と言われる昨今。
SNSでなんとかして名をなそう!と考えている人が大勢いる、そういう風潮が強い世の中では、かなりストンと共感できるようにも思えて、ハッとさせられる意見でもありました。




◇ズーイの言葉

ズーイとフラニーには、他にもお兄さんたちがいます。
彼らは幼い頃から、とあるクイズ番組の常連で、兄弟皆頭がいい!ということで、持て囃されてきました。
そして、ズーイにしても、フラニーにしても、美男美女。
選ばれた人みたいな、恵まれた性質を元々持っている人たちです。

だから、ズーイも優しいお兄ちゃんというよりは、ちょっと斜に構えているというか、上から目線の物言いをするタイプの人です。

母親から、塞ぎ込んだフラニーをなんとかしてほしいと懇願され、憎まれ口を叩きつつ、妹に向き合うことにします。


ここの押し問答が凄まじいです。

ズーイの語り口調や言い回しがすごく独特で、読み応えがあります。
ほとんどが会話で物語が成り立っている感じ。


ただ、兄妹でどちらも気が強いので、なかなうまくいきません。
フラニーが傷つくようなことも言ってしまいます。
一時は絶望的なところまで追い詰めてしまいました。



でも、めげずに頑張るんですね。
気は強いけど、所々、根の深いところにやさしさがあるのも、文章から垣間見えます。

世の中には素敵なことがちゃんとあるんだ。
紛れもなく素敵なことがね。
なのに僕らはみんな愚かにも、どんどん脇道に逸れていく。
そしていつもいつもいつも、周りで起こる全てのでき事を僕らのくだらないちっぽけなエゴに引き寄せちまうんだ。
アーティストが関心を払わなくちゃならないのは、ただある種の完璧を目指すことだ。
そしてそれは他の誰でもない、自分自身にとっての完璧さなんだ。
他人がどうこうなんて、そんなことにいちいち頭を使うべきじゃない。


みんながエゴを元に何かになろうと躍起になっているという事実は、世の中の在り方として確かに存在する。
もうこれは、打ち消せない事実。

議論になると、相手の考えを打ちまかしたり、完璧にそうではないと否定することが、ネックになるような気がしていたけれど。
ズーイがここで、提唱したのは、

他人のことではなく、自分がどうあるべきか

ということの重要さを説くことでした。

事実はありのままに、誤魔化さず。
視点の転換を提示したんだなーと感じました。


他者に不満を感じたとしても、それはあなたの課題ではなく、とやかくいう筋合いはない、というのはアドラー心理学的思考のようにも感じます。



◇太ったおばさんじゃない人間なんて、誰ひとりいないんだよ


フラニーとズーイの中で一番独特で、一番印象的なセリフだと思います。
そして抽象的であるが故に解釈が難しいところです。

ズーイはクイズ番組に兄弟で出ていた頃の話をフラニーにします。

上のお兄さんのシーモアが、ちゃんと靴を磨け、と言っていたこと。
(シーモアは亡くなっています。)

当時のズーイは、どうせ足元なんて見えやしないだろ、
と反発したのですが、シーモアは許しませんでした。

お前は太おったおばさんのために靴を磨くんだよ。


太ったおばさんて、誰??

とズーイは、思うのですが、
だんだん想像を膨らませ、放送の向こう側にいる、平凡でちょっと不幸せな感じのするおばさんのイメージを心の中に持つようになりました。
そして、そのおばさんはいつも、彼らの放送を心待ちにしているのです。

彼はそのおばさんを思って、靴を必ず磨くように心がけました。


太ったおばさんじゃない人間なんて1人もいない。

フラニーが馬鹿にしている人たちみんな、漏れなく含まれていると、ズーイは訴えます。

その太ったおばさんというのが実は誰なのか、君にはまだわからないのか? 
ああ、なんていうことだ、まったく。
それはキリストその人なんだよ。

フラニーはその言葉に涙を流しました。


わかりそうなんだけど、なかなか感じていることが言語化するのが難しいです。

ズーイが言いたいことは、

他人ではなく、自分にとっての完璧を追い求めること。
そして、フラニーが救いを求めている神様は、彼女が馬鹿にしている人々の中にこそ、存在していて、彼らを大事にすることこそが、自分自身への誠実さであり、さらには本当の信仰なんだ。

みたいな意味かなと読み取りました。

すごく子どもっぽい暗喩?なのに、中身が深すぎてポカンとしてしまいます。

キリストの名前を出しつつ、
全てに神が宿るみたいな、
ちょっと東洋的な、アメニズムっぽくもあるのかな。




ということで、こちらがフラニーとズーイの紹介・感想文でした。
なかなかまとめるのがむずかしい作品だったので、毎度のことながら、魅力をお伝えしきれている気がしません。

構成がちょっと入れ子のようになっていたり、日本人の一茶の句が引用されていたり。簡単には語り尽くせないくらいに、研究し甲斐のある作品だと思います。

ズーイが喋り倒しているように見えて、実は物語を書いているのは、お兄さんのバディである節があります。
そしてなんとなく、バディはサリンジャー自身に性質がよく似ている。

サリンジャーが名声より、創作を重視した作家であることを踏まえても、彼の名声への考えが反映されているようで興味深いです。
作中、もう少し深くお兄さんたちが絡んでいるんですが、本当の彼の気持ちを代弁いている登場人物が誰なのか、掴みきれないところです。

興味のある人はぜひ読んでみてください。


古典作品を読むとままあることなのですが、本からものすごく気迫が伝わってくることがあります。
普通の現代小説なんかだと、
単におもしろいなぁ〜とか楽しいな〜と、
ちょっと部外者というか、第三者的視点で一歩引いて見ていて。
それが結構普通なんだろうと思うのだけど。

日本であるか海外作品であるかに関わらず

どうしても言いたいことがあるんだよ!!!!

と時間を超えて、活字を通して、強烈にエネルギーを放出してくる本ってあるように感じます。魂がこもっているというか。
私にとって、これもそういうエネルギーがビシバシ飛んでくる一冊でした。


こういうのを、声小説というとも聞きました。
自分に語りかけてくる感じがすごくします。
なんだかんだ言っても、フラニーの言うことも結構わかるかもというところがあって、故にズーイの言葉も響いて、とても引き込まれるところがありました。



村上春樹さんはサリンジャーの筆致をジェットコースターのようなと、表現されているのですが、まさに。うなずくばかり。


なんか、すごすぎてすごすぎて。
急カーブ、急降下しまくりのスピード感。
もう、呆れて笑っちゃう文章なんですよね。
天才的な春樹さんでも、訳しながらついていくのに必死だったそうです。


学術的に顔をしかめた、とか
天井と2、3秒話し合った後、口を開いたとか


ちょっともう、いちいち、え??ってツッコミ入れたくなるような。

学術的なしかめっつらって?
天井と話し合う?
つまり、見つめてたってこと?

と頭でワンクッション置いてからじゃないと進めないような、独特な表現に満ちています。細部にわたって、ここまで複雑な表現にする必要がありますか?と言いたくなるくらい平凡な表現なし。

爆笑してしまう。


私は文庫版で読んだのですが、映画レビューでも書いた通りに、サリンジャーは解説や批評が大嫌いです。
ということで、訳者の村上春樹さんも頭をちょっと捻ったらしく、翻訳の解説文は本書には載っていません。

でも、古典作品で現代に通じないところもある以上は、解説も必要という判断で、小冊子が付録として挟み込まれています。

訳も解説も素晴らしいのですが、作者へのその配慮が何よりも素晴らしい!
載せたとしても、怒られるわけでもないだろうに。誠実さを感じます。

古本屋さんで買うときは、これがちゃんと入っているかチェックしたほうがいいかも✳︎ 
ネットでも公開されていますけども。

素敵な一冊でした。



なんとか短くしようと思いましたが、今回長くなってしまいましたー。


お読みいただき、ありがとうございました。







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