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どんどん個性が無くなり、ゴシック体化する有名ブランドのロゴと、その理由

今朝見ていたTwitterで、「確かに」と思うものがありました。

その元記事はこちらです。

その主な内容と、最後に私の思うところを書いていきたいと思います。
ここ最近、有名ブランドのロゴが次々とSans Serif(サンセリフ)体に変わっていき、元々あった個性やカラーまでもが無くなっていると言うものでした。また、その動きはファッションブランドから始まり、テック系企業へ波及しているとのこと。

そう言われてみれば、その通り。なんとなくロゴが洗練されたなくらいにしか思っていなかったのですが、こうしてみると多くのブランドのロゴが無個性化している。なんだか寂しい。

Sans Serif(サンセリフ)とは日本語で言うとゴシック体のようなもので、対するSerif(セリフ)とは明朝体のようなもの。「Serif」は直訳すると「飾り」ですが、書道で言う跳ねがある、より流麗な文字書体という感じでしょうか。

さらに、なんとカラーまでも無くなっているとか。テック系はまだいいのですが、ファッション系になると全部黒!

こうして指摘され、眺めてみると結構ショッキングでした。だってロゴはブランドの価値や個性、主張を表現する神聖なものとして扱ってきたから。この考え方と真っ向反対なこの流れはなんなのでしょうか。

この記事では、理由を4つ挙げていました。詳しくは元記事をご覧いただきたいですが、ポイントだけ引用させていただきます。

1) モダンに見えてオンラインでも使いやすいから。(本当?これまで蓄積したアイデンティティを捨ててでも?)

2)目立つノイズステージは終わって、ブランドが成長しシンプルでも人々の生活に馴染むステージに入ったから。(本当?シンプルだっていろんな表現方法があるよ?ナイキのスゥッシュとか。)

3)ブランドとはロゴ以上の存在価値があり、何を提供するかがより大事になってきたから。(本当?ロゴは何を提供するかを表現する重要な差別化要因って言ってきたよね?逆張り?) 

4)大きな看板からモバイルまで、表示が読みやすいから。(本当?技術が進化してレティーナディスプレイや4Kが出てきているのに?)

※ 以上は私の超訳です。

これらの一つは本物です。

ここから先は私の考察です。

正直、ここまでロゴのゴシック体化が侵食していると思いませんでした。流行っているやトレンドというより、侵食という方がしっくり来ます。だってこれは不自然です。特にファッションブランドは、自らの存在価値を否定するレベルにまで行っているのではないでしょうか。

かつて、ファッションブランドが華やかなりし頃、その世界観も含めて私たち消費者は憧れを持ち、いつかは欲しいと頑張る原動力にしてきたのではなかったでしょうか。このイブサンローランの映画大好きです。ストイックなまでに細部まで美にこだわり時には耽溺するサンローラン。映像美も相まって、パリの自宅やモロッコの別荘のその幻想的なこと!しかし、このポスターのロゴがゴシック体で味気ないものだったら…、このポスター自体成り立たないですよね。

また、オンラインでの使い回しや見やすさがその理由だとしたならば、それは一過性のものであるはずです。なぜなら技術はさらに進化し、たとえばホログラムのようなものに進化するとしたなら、その表現方法も共に進化するはずだから。テック系含めこの最先端の世界にいる人たちがそのことを考慮しないはずがない。

これは、ロゴデザイン業界にもよからぬ波が押し寄せているんだなと実感しました。

NWO(世界統一秩序)に基づいた大衆の支配、そのための愚民化政策の一環ではないかと思いました。ずいぶん話が飛躍してるな!と思われる向きもあると思いますが、いろいろな証左が出てきていますし、それを提示することもできます。

ただ、一度自分の目できちんと調べてみたいので、あらためてそちらは別の記事にしたいと思います。主には1992年の地球サミットで採択された「アジェンダ21」で2030年までに実現しようと提言された世界に我々は向かっているんだ(向かわされているんだ)ということですが、実はこのつながりで制定されたSDGsも裏の意図があり、それがかなりゲンナリする内容なのです。表向きは地球や人類に良さそうなことを謳いながら、実際には裏のアジェンダを推し進める計画です。しかし2030年が近づいた今になっては、LGBTやコオロギ、感染症対策などかなりのことが現実化しており、陰謀論ではなくて真実論になってきているのが真相です。

しかし、こんな美しいブランドロゴの世界にまで無個性化の流れを入れて許すまじ!と思った次第でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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