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なぜカップルを見ると辛いのか

理想の彼女であればもちろん出会いたい。
しかし、あまりタイプではない女性と男性のカップルであったとしても遭遇するとなぜか辛い。
(もちろん、一目見ただけで判断がつくわけがないのでタイプかどうかは第一印象の話でしかないが…)

冷静に考えると、何が辛いのかわからない。
その方と付き合いたいわけでもなければ、羨ましいわけでもない。

では、彼女という存在が欲しいからなのか。
そういうことでもない。
いざデートとなると面倒くさい。1人が好きなので、誰かと定期的に連絡をとることもだるい。
理想の彼女は欲しいが、現実的な彼女は別に欲しくないのだ。

生物としての劣等感なのだろうか。
本能的な男性としてのプライドが傷つけられているのかもしれない。
女性同士や、男性同士のカップルにはそういった感情が湧かないことからもそんな気がする。

この苦しみを生物としての役割を果たせていないことから生まれるもの。
避けられない本能だと仮定する。
その場合、年齢相応の役割を果たせていないことから、今後は子どもを連れている家族を見た時も辛くなるだろう。

社会的には独身であることは当たり前の世の中だ。昔の様な変な偏見も少ない。 
しかし、本能的な思いは避けようがない。

「避けられない苦しみと罪悪感に耐えながら、1人で過ごしていく」
VS
「苦痛を感じつつも、家族になっていく」

どちらも嫌だ。避ける方法は「価値観の合う人との幸せな結婚」というとても難易度の高い理想の道しかない。そのために、頑張るしかないのか。
良い子孫を残そうとする本能に苦しめられている。

世の中の家庭を持つ人はどれだけ頑張ってきたのだろう。本当に尊敬する。苦痛を感じずに上手く1人で生きている人も尊敬する。それなりの苦労とライフハックを持ち合わせているのだろう。

一応、自分なりのライフハックは持っている。
定期的にデートをしたり、女性の友達と遊ぶことで本能に言い聞かせて、感じたくもない劣等感を払拭している。
しかし、いつまでもこんなことをしていられない。おじさんになったらデートも難しくなるだろう。
その時にとても惨めな気持ちになってしまうかもしれない。

はぁ、どうしたらいいのかわからない。
嫉妬であれば努力で解決できるかもしれないが、やはりこれは嫉妬とは違う気がしている。

嫉妬は、何事に対しても起こるものではない。
自分と同じ土俵にいる人や、憧れているものに対して発動する感情だ。
テニス選手は上手なテニス選手には嫉妬するが、大谷翔平には嫉妬しない。
僕は有名なクリエイターに嫉妬はするものの、モテてる人には特に嫉妬しない。土俵が違うと感じているため「すごいなぁ」としか感じない。

解決策は見つからない。
だが、冷静に分析すると理性が働いて苦しみがなくなる。それでこんなことを考えている。
誰か詳しい方はコメントください!

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