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「無駄」を省くことよりも、「無理」をなくすこと。

「無駄」を省くことよりも、「無理」をなくすことの方が、自分にとっては大事かな、と、この頃は思うようになりました。

今はなにかと、「無駄」を省くことが重視される世の中。
時間を短縮し、できるだけ早く、楽に、簡単に。結果を追い求めるあまり、その過程での「無駄」に思えるようなことは嫌われ、時には敵視までされ、排除されてしまったり。

例えて言うなら、それは岸辺をコンクリートで固められて一直線に流れていく川のようなものかもしれません。

いろんな物事が流れていきます。
過去から未来へ。
どこかからやってきたものが自分の周りを通って、その先へ向かう。

自然に流れていく川は、あっちこっちに曲がりくねり、渦を巻いたり、急流となったり、深い淵となることもあれば、ゆったりと流れたり。
様々に姿を変えながら、人の目には無駄のように思えることの中にも、そこでまたそれぞれ多様な豊かさが育まれていたりもします。

高いところから低いところへ向かって、自然に流れていくように。
様々なものごとにも、自然な流れがあります。
何かを使い、何かを作り、暮らしていくことの中にも流れがある。
目の前にやってきたものからその先へと向かう流れの中に、自分の動きも乗せてみる。
何かの流れの中に、自分の体も無理なく収まるとき、そこには何か不思議な喜びや楽しさがあるようにも感じられます。

無理なく、ということ。
鉄を打つ、というと、力を込めて、力任せにどっかんどっかん叩いて作るというイメージを持たれている方が多いかもしれません。
私も以前は、打つ時にそこそこ力を込めていました。
けれど、とても多くの仕事をこなさなければならなくなった時、とてつもなく硬い材料を打たなければならなくなった時、肘や腕や手首を痛めてしまったことがあり、無理なことをしていたんだなとようやく気づきました。

それからは、鉄を打つ時、力はほとんど入れていません。
金槌や木槌を持つ手もすり抜けない程度にふわりと添えるくらい、あとは軽く振るくらい、力は全然必要としなくても、振り幅やスピード、槌自体の重さで、「叩く」というよりふっと「当てる」くらいの気持ちで。
それだけで自然と鉄は鉄の性質に従って、行ける方へと自然と向かっていきます。

人間も同じかも。自分には自分の得意なことや性質があるのに、それを無視して力づくであっちへ行け、これをやれ、といわれても辛いだけ。強制されなくとも、自分の特性を活かせるのなら、そっと肩を押してくれるくらいで十分力を発揮できるんじゃないかと。

無理せず、無理をさせず、自然とそうなるように収まっていくもの。
作ることも、暮らしていくことも、自分自身の在り方についても、そこにある流れを探してみる。
そこにある流れに、自分自身も乗せてみる。
その繰り返しの中で、急にスイッチが入ったかのように、自分の体が無理なく自然に勝手に動いていってくれるような、身の回りにあるものと一緒にその先に向けて流れていくような、そんな瞬間がどんなところにもあって、私はそんな瞬間が何とも言えないくらい好きで、だからいつも、そこに流れているものを探してしまいます。

さて、そんな風にして、日々暮らしていくことの中で、鉄のフライパンを使うことについて、てならい堂さんでワークショップを開催します。
鉄のフライパンの使い方やメンテナンスなどについて、ゆるーく、ゆらーりのんびりと実演しながらお話しできればと思いますので、もしご興味ありましたら、お時間共有していただけると幸いです。

3月12日(日) 
てならい堂 ひみつの小店(神楽坂)にて
13時 満席
14時 参加可能
15時 参加可能

予約制となっておりますので、お申し込みは、てならい堂さんのサイトよりお願いいたします。
https://www.tenaraido.jp/tenarai/frypan_talk/

使い勝手など、気に入っていただけたら、その場でご注文も承ります。
今お使いの鉄のフライパンがありましたら、使い方やメンテナンスなどのご相談も承りますので、ぜひお持ちください。

何かしらでも、お役に立てれば幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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